カタツムリやカエル、トカゲやトンボ、ツバメなど、四季とともに生まれたり、訪れたりする方々には、不思議な親しみを感じています。
個体は違うだろうに、やあ、また会えたね、とにこにこ声をかけたくなるような、そんな感じ。
目尻が下がります。
カタツムリやカエル、トカゲやトンボ、ツバメなど、四季とともに生まれたり、訪れたりする方々には、不思議な親しみを感じています。
個体は違うだろうに、やあ、また会えたね、とにこにこ声をかけたくなるような、そんな感じ。
目尻が下がります。
日々、「おとうさんのベルト」を装備しています。
「おとうさんのベルト」は、その名のとおり、父からもらったお古のベルトで、ズボン派のわたしには欠かせないアイテムです。
昔からいろいろなベルトを試して来ましたが、おしゃれベルトはやぐい(脆い、弱い、壊れやすい、建てつけが悪いなどの意味を全て内包する便利な方言)ので、金具で穴が広がったり、皮が切れたりと長持ちせず、しょんぼりしていました。
そんなとき、父のベルトを見てびっくり。安物とのことですが、穴がなく、金具でとめるシンプルなスタイル。わたしよりはるかに長い間ベルトを使って来たベルト先輩は、こんなのを使っていたのね。使い古しを譲ってもらい、使い始めると、その機能性と便利さを実感しました。いいね、これ。
というわけで、それからずっと、父のお古を譲り受けて使っています。
いいよ、これ。
ナナフシさんを発見して嬉しかった上に、これ、脱皮したあとじゃん!
朝から急にわくわくしました。
扉の画像を変更しました。
なんてことはない壁と草たちですが、なんとなく「お」と思ったので撮影しました。
この「お」と思うところと、そうでないところの差は、直感が頼りなので、まだいまいち説明できません。
「みんなの味方」を目指すほど、「誰の味方にもなれない」ことに気づく。
無口な気分。
きらきらと太陽の光を反射する葉っぱたち。葉っぱがジャラジャラとついているクスやフウなどは、植物というよりは鉱物のような輝きです。光り方がすごいと思っていたら、これが世に言う「新緑のまぶしい季節」というやつだということにようやく気がつきました。時候のあいさつを初めて体感しました。
縁というのは不思議なもので、つながるときにはつながるし、つながらないときにはつながりません。それは、「自分」の範疇を超えています。
先日も、全く同じ会場で、自然豊かな田舎に移住された方のお話を聞く機会が2回ありました。一方は、なんだかピンとこなかったので、業務多忙を理由に今後は参加できないなと思ったのに、もう一方は、なんだかピンときて、業務多忙の合間をぬって次の講座にも行ってみたいという気になりました。
受け入れの柔軟さやプログラムの多様さ、それぞれの団体さんが醸す雰囲気の違いもありますが、「自分が今つながりたい人」を嗅ぎとる力が少しはついていると思いたい。
ただし、縁というのは、やはり不思議なもので、何もしないとつながれないと感じます。
手を伸ばして、はじめて、結ぶか否か考えてもらえる気がするね。
ソテツ?から伸びる新しい葉は、まるで龍の爪のようにかっこいい。
樹皮が鱗のように見える木もあるし、ドラゴンと木は似ているような気がする。
甘くないヨーグルトに、きなこ(砂糖なし)をふんだんにいれて食べるとすごくうまい、ということに、ようやく気がつきました。
きなこの「コク」と「うまみ」がアップする感じ。
きなこも、ヨーグルトも、よく知る、おなじみのひとたちなのに、こんなに相性がいいなんて、おばさん、知らなかったよ。
びっくりです。