結ぶのこと

少し前に、三州足助屋敷の竹細工ミニ体験で、指輪を作らせてもらいました。

言われるがまま、あの隙間この隙間へと竹ヒゴを入れると、あっと言う間にクルリ一周編み上がりました。

たどたどしく作っても、編み上がりの形はきちんと美しいのだから、竹細工というものは本当にたいしたものです。

「この編み方はね、桶のタガの編み方そのものなんだよ」なんて教えられた日にゃ、うわー!竹細工すげーっと叫びたくなります。

魅力がすごい。

来年はもっと、竹という植物さんとお近づきになりたいなあ。

雄松と雌松のこと

玄関にマツを飾ろうとして、いわゆる雄松と雌松の違いはなんぞと悩みました。

目の前にあるマツの違いは分かるのに、どっちがどっちか分からないのです。ネットの情報も、曖昧だったり画像までは載っていなかったりして、いまいち参考になりません。

最後は植物図鑑を引っ張り出して、何となくこうかな?と結論づけました。

やっぱり、頼りになるのはアナログかー。

夜空の星がよく見えるのこと

今夜の星を、見上げましたか?

キンキンに冷えた夜は星明かりも冴え冴えとしていて、一粒一粒がよく見えますよ。

この一粒が、実は太陽のように巨大だとは。

 

大寒波のこと

大寒波が来るらしい。

来なくていいのにという気持ちと、ようやく来たかという気持ち。

冬は、暖かすぎても、あんまり良くないのです。

いただきますと手を合わせるのこと

カフェのひとり席。となりのおじいさんが、「いただきます」と手を合わせてから食べ始めたので、とてもうれしくなり、わたしも「いただきます」と言葉にしてから食べることができた。

家では元気に言えるけど、外ではちょっとはずかしくて、口の中でつぶやくくらいにしていたのだ。でも、今日はおじいさんのおかげで、ちゃんと言えたので、ありがたい。

ちなみに、帰り際に「ごちそうさま」とお店の人に声をかけるのは、だんだんできるようになってきた。食いしん坊のわたしとって、美味しいものを作ってくれた人、ほがらかに提供してくれた人は尊敬に値するので、ちゃんとありがとうの気持ちを伝えたいのだ。

「こども」という存在はすごいのこと

「こども」という存在はすごい。

知っている「子」も知らない「子」も、そこに「こども」がいるだけで、大人のわたしは、しゃんとする。なにごとにも誠実で、思慮深いヒトになり、良いものだけを集めて見せたいと思う。要は、つい格好つけてしまうのだ。

ただ、道端ですれ違ったこどもにも、まだ見たことのない世界中のこどもにも、時には別の動物や植物のこどもにも。「わたし」をよく見せたいというよりは、「大人というヒト」のよい部分を、言葉でなく態度や姿勢で表したい。「大人なんか」とがっかりしないでほしいのだ。

ちなみに、通りすがりの「赤ちゃん」と目があうと、精一杯の顔芸でおもてなしします。

走る種のこと

年賀状の絵を、ほぼ毎年描いています。

来年の干支「」にちなみ、テーマは「走る種」にしました。

動物と比べると、「動かない」イメージのある植物ですが、「種」になると、方々に動き回るのが面白いよねえ。

勘違いのこと

日々ぼんやりと生きているので、しまった、と思うことはしばしばあります。しかし、今日はとくに勘違いの多い日でした。

この時間の電車にのらねば!とあせり、のんびり散策したかったところをすごいスピードで駆け抜けたのに、タイムリミット自体が勘違いだったりとか。この時間なら余裕で間に合うわ、と歩いていたら思いっきり道に迷い、全力疾走するはめになるとか。

一日のうちに同じような「勘違い」をするなんて、ありえんでしょう。

自分、面白すぎると思いました。