森の中でヒキガエルに出会えました。
この感動を絵に込めたいなと思ったのに、カエルという生きものの形を描き慣れていないせいで、なんか、ちょっと違う感じになってしまいました。
修行が足りませぬ。
森の中でヒキガエルに出会えました。
この感動を絵に込めたいなと思ったのに、カエルという生きものの形を描き慣れていないせいで、なんか、ちょっと違う感じになってしまいました。
修行が足りませぬ。
結構長いことWebサイトを運営してきたにもかかわらず、SNSに苦手意識を持っています。
今日も不注意によりアカウントを再起不能にしてしまいました。なんてこった。
心底あせったので、声も出ず、動悸が激しくなりましたが、新しくアカウントを作りなおしたら、心機一転でいろいろとつながりが増えました。
SNSすごい。
落ちていた蛹を別の場所に移動しようと指先でつまむことにしました。
指で触れると、蛹はおなかの部分をぶんぶん振って「さわんなや」と訴えます。元気いっぱい生きています。
蛹を傷つけないよう慎重につまもうとするのですが、恐る恐る触るとつるつるすべって、持ち上げることができません。
蛹を傷つけず、蛹に嫌がられない程度の絶妙な力加減で思い切りよくつまみあげることができたとき、なんだかちょっと嬉しい気持ちになりました。
昔から、正月などの節目に絵を描いていました。
とくに中高校生の頃は、そのときの気合を込めて顔を描いていました。とくに何かのキャラクターというわけではないけれど、いつも同じような風貌で、挑むように笑う顔の子ども。強くありたいと願っていたのでしょう。
そんなことをふと思い出し、本日かなり久しぶりにその子を描いてみました。現れたのはいつものような不遜な笑顔ではなく、悪戯が成功したような笑顔。
きっと今、とっても楽しいのでしょうね。
庭のチューリップのなかで、いち早くつぼみをつけたものがおりました。まだ葉ばかりの仲間をさしおいて、その方は茎をぐんと伸ばし、花開こうとしておりました。
春の兆しが一変、冷たい雨が強く降る日がありました。ふと庭を見てみると、チューリップの葉はあるものの、ほころびかけていたつぼみがひとつも見当たりません。それどころか、にょきにょきとのびていた茎も葉に、隠れてひっそりしています。
それまでチューリップなどの植物は一度成長してしまったら寒くなっても同じ長さを保ち、最悪霜焼けのようにしんなりしてしまうだろうと思っていたので、大変驚きました。驚きすぎて、何度も見直しました。
再び暖かくなった朝、おそるおそる見てみると、件のチューリップさんは昨日よりも葉を広げ、少しだけ首をのばしておりました。まだ様子を見ているようで、つぼみは固く閉じられたままです。
当たり前のことですが、チューリップも生きものなんだと納得しました。
本日は天赦日だそうで。
新しいことにチャレンジしてみようと、朝からわきわきと頑張りました。
いろいろ大変だったけど、やってみなけりゃわからないこともたくさんあると感じました。
これからもがんばるぞー。
個人でサイトを立ち上げ、細々と運営し続けて20年以上は経ったと思います。
この間、いろいろな絵や漫画などを好き勝手に書き、そのうちの一部を、たまに誰かが見てくれたらいいなと、当サイトの「絵とコトバ」に置きっぱなしにしています。
誰も気にしないような自己満足のかたまりのような空間を放置して意味はあるのかというと、実はあるのです。
わたし自身、わたしが描く漫画が大好きなのですよね。たまに読み返して「おもしれ〜」とか本気で思っているのです。お恥ずかしいことに、自己肯定感は半端なく高いです。
自分の作品を冷静かつ客観的に見られないのは作家としては致命的なのかもしれませんが、何度見てもわくわくしちゃうのですから仕方がありません。
いろいろ大袈裟に考えて、自身の理念にそった作品だけを飾っておこうと思っていましたが、初めから自己満足のサイトなんだから、自分が好きなものを好きなように飾ればいいんじゃないかという気がしてきました。
昔の自分を受け入れて、ようやくスタート地点に立てそうです。
本日もラクガキでした。
小さな命を閉じ込めて、観察させていただいている。
本当は、好きな場所で好きなように生きていてほしい一方で、知らないうちに棲家を奪って踏み躙るよりも、どうやって生きているのか教えてもらうことは大事なことだとも思う。
小さな空間だけれど、できるだけ快適に暮らしてもらえるよう、相手のことを真摯に考える。どんな環境なら落ち着くか、どんな食べ物が好きなのか、いつ起きて、いつ寝てるのか。
とりあえず、本日もトゲナナフシさんは元気で安心しました。
あいかわらずの落書き回。ツノのあるいきものは大概好きです。