寺巡りのこと

昨年末に親戚が亡くなり、喪中の身である。

忌は明けたため初詣には行っても良いようだが、1月1日にいつもの神社さんを訪れた際、人が多すぎて入るのを断念したこともあり、なんとなく神社さんには入りづらい心地になった。

こうなったら、頼みの綱は寺である。

昨日はお不動さんに龍神さん、本日は七福神と、普段新春には訪れたことのない寺を巡っている。

自分にとっては今までとは違う日常だが、そこには誰かのいつもの光景が広がっているのが面白い。

いつでも何度でも、どこにでも日常があるという当たり前のことに気づかされる。

厳しいおみくじのこと

本日、お不動さんのお堂の前でおみくじを引きましたら、今はまだ厳しい時であるから控えておけと書いてありました。さらに、細々したところにも、今は何かを無理矢理やっても少しも効果をあげられないから控えよ、と書いてありました。総じて、とにかく控えよということですね。

お肌の不調が一年も続いているわたしとしては、粉のように落ちる皮膚をボロボロと落としている時間や、何度も自分でかき壊してしまう悲しみにくれる時間を別のことに使えれば、もっと躍進できるのではないかとずっとヤキモキしていたのですが、このおみくじを引いて、無理するのはやめようとすんなり思えました。

こういったものを素直に信じ込んでしまうたちなので、占いはやめておこうと思います。

 

あけましてのこと

新年あけました。

今年もいつもの神社さんにご挨拶と思いましたが、ものすごい行列で、とても境内に入れるような感じではなかったので、日を改めることにしました。近所ですからね。

老舗のショッピングセンターの小さなフードコートも混雑しています。親戚が4人がけの椅子周辺に集まって何やら話し込んでいるのを見ると、微笑ましい気持ちになりました。久々に会えたから積もる話をしたいのに、フードコートの席はポツポツと離れてるもんだから、話しづらくて仕方がないよね。

家に帰ると、途端に眠くなります。身体を治すために睡眠を要求されているのです。流れに逆らわず、コタツに奥まで入ってぐっすり眠ります。このところ、夜は断片的に起きて、身体に定着できない皮膚を落としたり、乾いた喉を潤したりトイレに行ったりと、忙しなく過ごしているため、あまりよく眠れていないのです。

長い昼寝から目覚めて、先日取れてしまったボタンでもつけようと裁縫道具を取り出した途端、ビリビリと振動が起こりました。道路沿いの建て付けの悪い家の直近をダンプカーが通ったかのような振動は、地震の時によく感じるので、今回も来たな、と思いました。震度2程度の地震であれば、そのような振動くらいしか感じないのですが、今日はグラグラと横揺れも長く続いています。スマホからは緊急地震速報の音と共に、「地震です」という音声が聞こえるし、屋外からも薄ぼんやりとした声色で地震を知らせるアラートが鳴り響いています。ついに南海トラフ地震が来たかと恐ろしくなり、針を置いて、大好きなぬいぐるみたちを抱えて家族のもとへ逃げました。

父から机の下に隠れろと言われて、母と共に食卓テーブルの下に逃げ込みましたが、その頃には揺れも落ちついていました。机の下からテレビを見ると、能登半島沖を震源とする地震だと報道されていたので、プレート地震ではなさそうだとひとまず安心しました。のそのそと這い出した頃、テレビの地震情報は津波避難の情報に切り替わりました。

そして、それは今も続いています。

こっそり主張するのこと

とても些細なことですが、いつだって今いる場所でこっそり自己主張していることに気がつきました。

どんなところでも、違うことをしているように見えても、わたしはわたしとして、勝手に世界に働きかけています。

おかしなことですが、面白いことです。

色々な人、思い思いにのこと

色々な人が思い思いに過ごしているのを見ると、なんだか安心します。

誰に脅かされることもなく、不安に駆られることもなく、ただ自分がしたいようにのんびり過ごす様。

来年も穏やかに過ごせますように。

結局そうなるのこと

ヒジキや切りコブの煮物が好きです。

ヒジキや切りコブをモリモリ食べたいのですが、煮物というものは総じてその他の野菜やキノコ、練り物などを加えるため、メインであるヒジキや切りコブの割合が減ってしまいます。

じゃあ今日はヒジキだらけの煮物を作ろうと意気込んだのですが、結局、ニンジンやキノコなどがわんさか入った賑やかな煮物になりました。

色々食べたくなっちゃうのよねー。

1日の終わりにのこと

1日の終わりに、今日何をしたかを考える。

特に何もなくても、特に何かあっても、1日の最後にはお布団うえで、こうやって振り返られる時間が持てることが、何より素敵かもしれない。

今日はそんなことを思いました。