「誰かの役に立つヒトになりたい」と言って、道を選んだことがある。
感謝されることもあったけれど、「役に立ったでしょう」と押し付けてしまうことも多々あった。社会のなかで役に立ったかどうかを評価されているうちに、自分がすり減っていくような気もした。
本当は、誰のためでもなく、わたしはわたしのために生きている。今生が終わるまで、楽しく朗らかに生きていきたい。でも、ヒトによるヒトだけのための社会に楽しい未来があるとは思えない。
まだうまく言葉にできないけれど、いろんな生きものがごった煮になって、生物量100%を目指す祭りの方が、ときめくんだもの。このときめきを大事にしたい。