出鱈目に考察すること(月代)

皆様こんばんは、「でたらめ考」第一弾となる本日のテーマは「月代(さかやき)」。不思議の国ニッポンならではの独特なヘアースタイルを通して、単一的な思想を持つ集団の末路について考えます。

ちなみに「でたらめ考」は読んで字の如く、わたしが下調べもせずに思い込みを書き綴るため、事実と異なる部分が多いと思います悪しからず。また、今回のテーマでは「月代」ですので、頭頂部が寂しくなる単語に過敏反応される方は、この先をお読みにならない方が懸命です。

さて、「月代(さかやき)」とは、上図のように、前頭部から頭頂部までの髪をきれいに剃りあげた部分のことで、一説には、兜をかぶる際に頭が蒸れるのを防ぐために広まったと言われています。

しかし、それだけで広まるものでしょうか。

現在でも、道ゆく人の禿げた頭部で最も多いのは「前頭部と頭頂部の毛が薄くなる」パターン。つまり、お手入れしなくても月代ができる人が多いということです。

そして、小さな島国ニッポンでは、長らく、単一的な価値観を持つ「集団」を作って生きながらえてきました。「その考え、なんかおかしいな」と思っても、下手に進言したら爪弾きにされて、一生、日の目をみない。だから黙っておこう、と、敢えて他人に「合わせる」生き方を重んじてきたように感じます。

以上から、わたしは、月代が流行った原因として、主君の頭部の毛がだんだんと薄くなったことに気づいた部下たちが、「主君に恥をかかせないため」というニッポン独特のわけのわからない思想により、自ら髪を剃り、「これ、頭も蒸れないし、めっちゃいいっすね!」と開き直った結果だと考えております。

本来、剃髪は仏門に帰依するなど別の意味を持つものですし、本当に頭が蒸れるのを防ぐためだけなら蒸れない兜を開発した方が効果的だと思うのです。それなのに、禿げていない者までわざわざ剃ったというと、ニッポンの嫌な慣習が前面に出た結果ではないかと邪推してしまいます。

ちなみに、わたしのこの発想は、10年以上サラリーマンとして、まわりの人々を見続けて思いついたものです。組織内の単一的な思想に固執した結果、外の世界とはえらく違う方向に進んでいたということがないよう、これからは、多様ないきものによる、多様で楽しい世界をつくっていきたいものです。

以上で、「でたらめ考」を終わります。ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

春の宴のこと

扉絵を変えてみました。

野放図なほうれん草畑で開かれていた春の宴の様子です。

まだまだ寒い日が続いていますが、足元にはもう、春の野草がお目見えしていますよ。

梳き返し、その後のこと

梳き返しのその後のご報告。

計3枚。無事に乾いて、立派な紙になりました。自立するぐらい分厚い紙になったため、「凡些亭」の看板をつくることにしました。

選んだのは、一番でこぼこで、米糊とのムラが出てしまった部分。「紙」としてはあんまりな部分かもしれませんが、一番表情があって面白かったので、そこを手でちぎり取り「凡些亭」と書き入れました。うん、ぴったりだ。

即席で作ったヒノキの小さな台に立ててみると、結構いい感じのミニ看板になったのですが、我が家内には素敵な背景がないため写真撮影は断念しました。

ともあれ、梳き返しに挑戦プロジェクトは、自分にとっては大成功でした。いやいや、最初は名刺のための紙を作ろうとしていたけど、分厚すぎて印刷できなかったなんてことは秘密ですよ。味があって、よい看板ができました。うん。

これからのこと

自分が暮らすならこんな世の中がいいな、というのは、多かれ少なかれ、誰もが持っていると思う。それを実現するために動いている人もいれば、誰かがそれを実現してくれるだろうと期待している人もいる。長年、わたしは後者だった。

わたしはあまり「もの」を知らないので、自分が暮らしたい世の中を実現してくれるのは、政治家とか、偉い人とか、頭のいい人とか、いわゆる「権威ある」人たちだと思っていた。

多くの人々の代表者で、多くの人々の声を代弁する人。多くの人々を調査し、多くの人々の研究をする人。そういう人たちが、わたしのような埋もれた人たちの代わりに、「良い世の中」をつくっているんだと思っていた。

わたしはわたしで、日々、誠実に、世の中の役に立つように、なるべく真面目に生きていけば、「良い世の中」に貢献できるだろうと思っていた。

でも、大人になるにつれ、どんどん生きづらくなっていった。ごはんも食べられるし、服も着られるし、住む場所もあるし、楽しい娯楽もいろいろあるのに、なんだか、年をとった自分がしあわせに暮らしている様子を想像することができなくなった。

でも、こんなこと、誰にも相談できなかった。「わたしは未来に絶望しか感じません」なんて言っても、現実は変わらないし、ただ心配をかけるか、変な目で見られるだけだと思っていた。

でも、実は、同じように思っている人はたくさんいて、「なんとかしなきゃ」ともがいている人もいて、自分の身の丈でできることを真剣に考えているということが、この1年でよくわかった。

さらに、ずいぶん前を走っている人たちが「こんな世の中はどう?」と、笑って手を差し伸べてくれているということにも、ようやく気がついた。

そういう人たちは、なにも特別な人じゃない。わたしと同じように日々暮らしている、そのへんにいる平凡な人たちだ。ただ、とても楽しそうで、見ているだけで「いいなあ。わたしもあの人たちの仲間になりたいなあ。」と思わせる魅力がある。

世の中は、見知らぬ権威ある人たちがつくってくれるものじゃなくて、平凡な自分が身の丈でつくっていけばいいんだと考えたら、なんだかわくわくしてきて、ようやく、これからも生きていけるという気になった。

「年をとった自分がしあわせに暮らしている様子」は、まだしっかりと描けないけれど、どうせならわくわくする方へ歩いていきたいと思う。

凡些亭のこと

凡些亭を立ち上げて3ヶ月くらい経ちました。

理念を掲げたものの、ひとりぼっちでわたわたと変な行動をしているだけで、現状はスタートラインにも立てていないのですが、だんだんと面白さを感じるようになってきました。

不器用だし、こんなん絶対無理だわ、と思ってた自分が、今や、ノコギリやクラフトナイフで木や竹のスプーンを作ったり、書き損じから紙すきをして再び紙を作ったりしているのです。

やってみるとなんでも面白いし、案外、なんとかできちゃうのよ、これが。身の丈で、ものづくりができる楽しみを、思い出しているような感じです。

まだまだ、何も始まっていない「凡些亭」ですが、この楽しい気持ちを伝えられたらいいなと思います。

本気のソーセージを本気で食べるのこと

本日は、森本工房さんのソーセージを食べました。

購入時にいただいたパンフレットには、商品に対する真剣な気持ちやドイツで学んだことなどがいろいろと書いてあり、読み終わったとき、これはとても大事に食べたいなという真摯な気持ちになりました。

というわけで、パンフレットに書かれていたおいしい食べ方に忠実に、焼いたのと、沸騰したお湯につけたのを作りました。

ゆっくりじっくり調理することで食材に対するありがたみも増しつつ、豚肉のうまみをぎゅぎゅっと感じる、ちゃんとした美味しさでした。とても満足でした。

ちゃんと作ってくれたものって、少量で十分満足できるの、なんでだろ。

いよいよ「紙すき」に挑戦!のこと

米糊づくりを終え、いよいよ「紙すき」に挑戦します!

「紙すき」といえば、「木枠」的なものを水の中で揺らしているイメージがあるかと思われます。ハガキサイズの木枠なら画材屋さんにも売っているのですが、わたしはもっと大きな紙(できればA4サイズくらいのもの)を作りたかったので、ちょうど良い大きさの木枠を見つけることができませんでした。

次回は木枠も手作りして挑戦することとして、今は、家にあるもので、紙すきをやってみることにしました。

用意したのは、金属製のバット(野球にあらず)と、海苔巻き用の巻き簾。バットに巻き簾を敷き、水を入れます。

米糊を加えた紙のもとさんたちを、巻き簾の上に均一になるように入れていきます。はじめてだったのでスプーンでちまちまと入れていましたが、ドボドボと流し込んでから偏った部分をスプーンで均しても、そう変わらない感じでした。

巻き簾の両端をつまみ、バットからそっと引き上げ、まな板の上に置きます。うん、思ったよりまばらじゃない。いいかんじ。

「さらし(晒木綿)」を上からかぶせ、手のひらで軽く押すようにして水気を切ります。↑は、紙を乾かせる場所(庭先)まで移動した後の写真です。

まな板から、巻き簾とさらしごと紙を持ち上げ、ひっくり返し、再びまな板にのせます。ゆっくり巻き簾を外していくと・・・。

紙がさらしにくっついて、板状に残っているというわけです。残念ながら今回は巻き簾の跡がくっきりついちゃって巻き簾模様の紙になっております。(ご愛嬌!)

あとは、お天道様の光と風で乾かすのみ!

今回ちぎった書き損じで、合計3枚作ることができました。出来上がりは後日、お伝えします。

やっぱり米糊をつくるのこと

やっぱり米糊をつくることにしました。なんの話かというと、梳き返しに用いる「ネリ」がわりの「ノリ」のことです。

前回、小麦粉からでんぷんのりをつくりましたが、障子紙の張り替えにも、ちょっとした木を接着するにも「米」からつくった糊が効果大というイメージのため、「小麦粉」がなんとなくしっくりこなかったのです。

せっかくやるなら、ということで、糊づくりからやりなおしました。(注意:小麦粉で作ったでんぷんのりは、我が家の生ごみ処理機さん(微生物式)がおいしくいただきました。)

米粉です。お正月用のもちを切ったときに余った「餅とり粉(米粉)」を利用しました。大さじ1弱くらいです。

水(150ccくらい?)を入れ、鍋を火にかけてひたすらゴムベラでネリネリしていると、とろとろのもちもちになります。↑の写真は、鍋を火から下ろして、常温で冷ましたもの。米糊、無事に完成です。

小麦粉からつくったでんぷんのりよりも、粘性が弱いように思いますが、水にもよく溶けそうなので、梳き返しには都合が良いのではないかと思います。

お天気も良いし、糊もできたし、このまま紙すきもやってしまうことにしました。

先ほど作った米糊をスプーン2はい分くらい加えて、紙とよく混ぜます。紙の粒子がかなり大きなままですが、まあ、なるようになるさ!です。

つづきは、「いよいよ、紙すきに挑戦!のこと」にて。