これからのこと

自分が暮らすならこんな世の中がいいな、というのは、多かれ少なかれ、誰もが持っていると思う。それを実現するために動いている人もいれば、誰かがそれを実現してくれるだろうと期待している人もいる。長年、わたしは後者だった。

わたしはあまり「もの」を知らないので、自分が暮らしたい世の中を実現してくれるのは、政治家とか、偉い人とか、頭のいい人とか、いわゆる「権威ある」人たちだと思っていた。

多くの人々の代表者で、多くの人々の声を代弁する人。多くの人々を調査し、多くの人々の研究をする人。そういう人たちが、わたしのような埋もれた人たちの代わりに、「良い世の中」をつくっているんだと思っていた。

わたしはわたしで、日々、誠実に、世の中の役に立つように、なるべく真面目に生きていけば、「良い世の中」に貢献できるだろうと思っていた。

でも、大人になるにつれ、どんどん生きづらくなっていった。ごはんも食べられるし、服も着られるし、住む場所もあるし、楽しい娯楽もいろいろあるのに、なんだか、年をとった自分がしあわせに暮らしている様子を想像することができなくなった。

でも、こんなこと、誰にも相談できなかった。「わたしは未来に絶望しか感じません」なんて言っても、現実は変わらないし、ただ心配をかけるか、変な目で見られるだけだと思っていた。

でも、実は、同じように思っている人はたくさんいて、「なんとかしなきゃ」ともがいている人もいて、自分の身の丈でできることを真剣に考えているということが、この1年でよくわかった。

さらに、ずいぶん前を走っている人たちが「こんな世の中はどう?」と、笑って手を差し伸べてくれているということにも、ようやく気がついた。

そういう人たちは、なにも特別な人じゃない。わたしと同じように日々暮らしている、そのへんにいる平凡な人たちだ。ただ、とても楽しそうで、見ているだけで「いいなあ。わたしもあの人たちの仲間になりたいなあ。」と思わせる魅力がある。

世の中は、見知らぬ権威ある人たちがつくってくれるものじゃなくて、平凡な自分が身の丈でつくっていけばいいんだと考えたら、なんだかわくわくしてきて、ようやく、これからも生きていけるという気になった。

「年をとった自分がしあわせに暮らしている様子」は、まだしっかりと描けないけれど、どうせならわくわくする方へ歩いていきたいと思う。