お灸のこと

正直、鍼灸を自分が試してみるとは思いませんでした。

いえ、もちろん、注射嫌いの私にとって「鍼なんてとんでもない!」という考えは変わらないのですが、お灸だって「あっついんだろうな、自分じゃやらないだろうな」と思っていたものです。

それが自身の体が不調になり、漢方内科でめちゃ面白い五行の考え方を知ってから、あれよあれよという間に、毎晩お灸をするようになるとは。

昨日から足三里に加え、片手の合谷にもお灸をするようになりました。

良くわかんないけど、なんかいい。

再びここへのこと

毎日更新していた「日々のこと」を、体調不良を理由にお休みしてから早半年経ちました。

治癒に集中するぞ!と意気込み、ここに言葉を綴っていた時間を使ってヨガをしたり、早めに睡眠をとったりした結果、お肌の調子が少しずつ良い方向へ近づいてきました。

ホントはここへ戻る時には「静養したおかげで綺麗さっぱりツルツルボディです!」と自信満々に言いたかったのですが、むしろ半年間色々試した結果、荒れた範囲が広がったり、瘡蓋だらけになったり、全身が痛くて、休みの日は1日の大半を寝て過ごすといった具合に過ごしています。

それでもお肌の調子が良い方向へ向かっていると感じるのは不思議ですが、肌が腫れて赤くなっている箇所が減っていることや、ポロポロ落ちるしかなかった皮膚がむしろくっついて容易に取れなくなってきたことは、私に強い自信を与えてくれています。

再びここへ戻ってきたというのに、結局、お肌の話ばかりしてますね。

でも体が悲鳴を上げてくれたおかげで、この半年間でようやく私も、外に向かって「無理だ」と主張できるようになってきました。

今までずっとやりたいことを我慢して働いてきて、ようやく仕事を辞めたのに、「自分」のことを顧みず、それまでの自分の延長線上の「格好つけた自分」のままだったので、いつの間にか義務感や使命感に囚われて苦しくなってしまってようです。

もう、とことん、「自分」を見つめ、「自分」に尽くす日々です。

例えば、毎日、足三里にお灸をしたりね。漢方然り、お灸しかり、東洋医学が身近になるとは思いもしませんでした。

まだ、治りかけの自分ですけど、そんな途中経過を、本日ここに掲げときます。

ヨガをする日のこと

毎日更新しなくなった時間をヨガにあて、自律神経を整えることに集中しています。今時はYouTubeでとても分かりやすい動画を気軽に見られるのでとてもありがたいです。

一時期はなかなか寝付けず、夜中に何度も起きて、明け方ようやく寝ついて夢ばかり見るという感じになっていたのですが、ヨガでのびのび身体を伸ばすようになってからは、大分穏やかに過ごせるようになってきました。

というわけで久々に更新しています。

骨盤の位置とか、呼吸を身体いっぱいにいれるということが段々わかってきたぞ。

昨日のこと、今日のこと

昨日は仕事で夜遅くなったことと、お肌が壊滅的だったことが合わさって、この場に書き記すことを見送った。

この3年くらい、毎日何かしら書いてきたけれど、この1年くらいはほぼ絵も描けず、お肌の調子が悪いとかそんなことしか書けていないし、無理しない方がいいなと思ったのだ。

自然体であれ。

そして、本日。朝からお約束ごとがあったのに、寝坊する。

最近は夜中ずっと痒み皮膚の粉落としをして寝付けず、明け方ようやく眠れるというのを繰り返しているので仕方ないね。

余裕なくバナナとみかんを口に突っ込んで出かけようとした時、お約束ごとが延期になった旨の連絡が来て、とりあえず落ち着く。

余裕を持って意気揚々とお出かけし、身体を動かす。

家族の全面協力もあり、食べ物はいい感じなので、あとは運動や体操が鍵な気がする。

ほかほかに体温を上げるのこと

なるべく体温を逃さぬようにして、ほかほかの状態を保っていると、肌の調子がわりかし良いような気がします。

やっぱり汗をかけるかどうかが大事なのかもしれません。

反復横跳びに目覚めるのこと

昔から、自分が参加するという面で、体育やスポーツにに苦手意識を感じていまいた。

もちろん体力測定も好きではありません。

でも、最近ようやく身体を動かすことの楽しさが分かってきました。

今日気づいたのは、反復横跳びとの動きの面白さ。

回数や距離や時間を気にすることなく、自分がしたいように動く反復横跳びは、動き自体も楽しいし、すぐに身体が温まるし、とても良いなと思いました。

明日もやるぞー。

温かいもののこと

お昼に食べたおうどんは、今のわたしの気持ちにピッタリと寄り添ってくれたので、豊かな気持ちになりました。

外でもこういうご飯が食べられるのは、得難いことです。

人生糾える縄の如しのこと

人生糾える縄の如し、という言葉を、わたしは漫画で知ったのだ。高校か大学か、ともあれまだとても若い頃だ。

初めて知った時、知らなければよかった、と思った。

だって、万事がうまくゆかずとも、ある程度良い感じのところでぷかぷかと漂い続けていたいのだもの。上昇した分だけ下降することが決まっているとしたら、これほど嫌なことはない。

それからかなり月日が経ち、今を迎えたわたしは、人生糾える縄の如しを歓迎するようになった。

皮膚の調子が治りきらず、良くなったり悪くなったりの波を繰り返うちに、悪い状態の底を感じられるようになってきた。

後は、良くなるだけ。なんと嬉しいことだろう。