過ごす場所のこと

このサイトを立ち上げてから、ふた月あまりとなりました。

まだ形が定まらないサイトですが、お立ち寄りいただいている方には、本当にありがたく思っております。年越しはいかがお過ごしですか?

わたしは、いつか山深い里で年を越したいなと妄想しています。

旅人同士、囲炉裏端でぎこちなく語りあったり、真夜中にふらりと外へ出て空を見上げたり。しんしんと静けさがせまる場所で、ひとり過ごしたいなと思うのです。

来年は、ひとり旅マスターになりたいです。

枯野の種や実のこと

冬のこの時期、木曽川の河川敷は枯野が広がっています。

見渡す限りの枯れ色で素通りしてしまいそうですが、よく目をこらすと、きれいな実、おもしろい種、いっぱいありましたよ。

重曹のこと

本日の大掃除にて、重曹の力を思い知りました。

以前から「重曹はすごい」という情報は見聞きしていましたが、「でも油汚れには洗剤的じゃないと無理でしょ」と思い込んでいたため、実際に使ったことはありませんでした。

が、本日使ってみてびっくり。もっと早くやっておけばよかった。

洗剤でもこれ以上とるのは無理ですわ、というこびり付いて馴染んでしまった油汚れが、みるみるみるみるとれました。はー、すごかった。

化学薬品を増強し専門分野に特化した洗剤よりも、シンプルで昔ながらの重曹の方が役割をちゃんと果たすって、どういうことなの。しかも重曹は他にもいろいろできちゃうというのに。

歯磨き粉のこと

自分が使っている歯磨き粉が売り上げNO.1らしいとの噂を聞きました。

真偽は確認していませんが「まさか」と思いました。だって、むしろマイナーだと思っていたから。

歯磨き粉界では昔から、いかに白くするかだの、フッ素をコーティングするだの、強力に汚れを落とすだのに夢中で、有名な定番の歯磨き粉もたくさんあったじゃないの、どうしたの。

肌荒れに悩み始めたときに、歯磨き粉でもアレルギーになる人がいるということを聞き、とりあえず刺激が少なそうなものに変えました。

今ではリップクリームもハンドクリームもシャンプーもせっけんも、裏面の表示で、自分が知っている自然のもの、かつ、なるべく原材料数が少ないシンプルなものを選んでいます。

そういう商品は大概、おしゃれな専門店には置いてあるけど、ドラッグストアだと隅の方にあるかないか、もちろんスーパーの商品棚には並んでいない程度の存在感だったと思います。

でも、あるときから、スーパーの歯磨き粉コーナーにこっそり並び始めたんですよね。手に入りやすくなってよかったなーと思っていたところです。それがまさか「売り上げ」という分野で話題に上がっているとは・・・。

お肌に悩んでいる人、どんだけ多いの。

これは、もう個人の問題ではなく、社会的な要因があるのではと思い始めています。

無心の絵のこと

こういう絵を描くと「この人、大丈夫かな?」と心配されるような気もするが、本人は無心で楽しく描いているので安心してほしい。

ここ二、三日は、こういう絵しか浮かばない。

自分以外の宇宙と通信を試みる毎日のこと

聞こえますか、聞こえますか。

本日もわたしは、自分以外の宇宙との通信を試みる。相手は自分と良く似た形をしているが、違う宇宙にいる人だ。

言葉は通じるはずなのに、通じない人。一方的に自分の言葉だけ伝えようとする人。深く考えないで言葉を投げつけてくる人。頑丈なはずの宇宙服を素通りし、いつのまにやら生身の自分は傷だらけ。

でも、なによりつらいのは、力になりたい相手が弱っているときに何もできず、分厚い防護ガラスの内側で自分の無力さを思い知るときだ。

本物のアストロノーツのように、人として、強くなりたい。

年賀状の絵のこと

我が家用の年賀状(戌年ということで柴犬さん)を描きあげました。

絵を描くために良く観察してみると、特徴がいろいろ分かります。思ったよりも鼻が大きいとか、黒い毛がアクセントになっているとか。

何よりも素敵なのは、口のところのゴムパッキン的なあれですね。あれがあるから、ぐっと柴犬らしくなります。あれはなんなんだろうか。

ちなみに、少し前に「年賀状には犬と畑を描きたい」と書いてみましたが、「冬の畑に残されたしなびた白菜を描きたい」と言ったら家族から却下され、大変スタンダードなデザインになりました。

気遣いの力のこと

混雑した駅のホームで急に具合が悪くなり、倒れかけたことがあります。

目の前が急に真っ暗になり、まともに立っていられなくて、いろんな人にぶつかったのがわかりました。でも、自分ではどうにもできないのです。

そんなとき、やさしい人が背中を支え、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。

すると、急にハッと正気を取り戻したのです。目が見えず、足ももつれていたのにも関わらず、急に視界がクリアになり、しゃんと立てるようになりました。

もちろん、具合は悪いままだったのでその後きちんと対処をしましたが、先ほどまで意識が混濁しかけていたとは思えないほど正気を取り戻せたことが、本当に不思議でした。

人に声をかけてもらうというのは、なにか、とてつもなくすごいことなんじゃないかと、そのとき感じたのです。

わたしも困っている人を見かけたら、いち早く気づいて手を差し伸べられる人になろうと思いました。

で、今回の絵は、そのやさしい人への感謝の気持ちを込めて描いた・・・仙人のおじいさんです。なぜ、仙人なのかは自分でもよくわかりませんが、とにかく、描きたかったんだ、うん。本当に助かりました。ありがとうございました。

 

冬至のこと

本日は冬至なので、かぼちゃを食べて柚子湯に入りました。

本日の柚子はお店で買ってきたものですが、柚子とかレモンとか、いろいろと重宝する植物を、家の前の、誰もがお世話してくれそうな場所に植えられないかなともくろみ中。

そう、イギリスのTodmordenという街で始まった、Incredible Edibleという都市農園プロジェクト、あれを近所でもできないかなと考えているのです。

このプロジェクトについて知ったのは、「TOMORROWパーマネントライフを探して」という映画でした。街中の管理が行き届かなくなったスペースなどに野菜を植え、街の人たちがボランティアでお世話をするというスタイルで、収穫は誰がしてもいいよという、とてもアクセスしやすい農園なのです。映画では、育っていく作物を前に街の人同士の会話もはずんでいて、とてもとても素敵だったのです。

日本では、いきなり公道やら公園やらに野菜を植えたら怒られるけれど、自分の家の敷地内なら、誰にも咎められないんじゃないかな。

わたしは、植物をじっと観察したり絵を描いたりするのは得意だけれど、細やかなお世話を継続するのは苦手。できることなら、近所の人にも協力してもらって、実った果実を自由に持って行っていいよ!というような、共有のミニ菜園を家の前に作りたいのです。

植えるのは、たまに料理などに使いたいけど、いつでも大量にいるわけじゃない柚子やレモン、ハーブなど。シェアするのに、ぴったりだと思うんだよねと、妄想は広がります。

こういうの、本当は仲間と一緒に考えたいなあ。こういう取り組みを、面白がってくれる、仲間がひとりでもいればいいのに。(ぼっちはつらい)

新しいFUROのこと

このたび、我が家の風呂釜が新しくなりました。

厳密に言うと、変わったのは釜部分(給湯器)とスイッチだけで、桶も洗い場もそのままなのですが、なんだか雰囲気が変わったような気がします。

たぶん、それは給湯器のスイッチの表示がLED的な青白い色合いになったためだと思われます。なんかね、見てると、今時のAI的な感じ。ロボっぽい。

誰かと一緒に風呂に入っている気がして、少し落ち着かない気持ちになります。