おこもりさんの前の日のこと

台風がきています。

わたしが住んでいる地域では、明日は一日中家にこもることになりそうなので、本日いろいろと買いだめしたり、家のまわりを再点検して整えたりしました。

明日はおこもりさんですなあ。

 

クモさんたちへのメッセージのこと

台風に備えて、鉢植えなどを安全なところへ避難させました。

途中、ジョロウグモさんの巣を2軒ほどうっかり壊し、初めて見たオオヒメグモさん?の家?をうっかり水浸しにし、植木鉢の裏側にあった真っ白で繊細な巣?をやむなく水に流しました。

……こんなはずじゃなかった。

うかつな破壊行為がひどい我が家ですが、いろんな困った虫を適度に食べてくださるクモさんたちをいつでも歓迎し、厚遇しておりますので、どうか、嫌いにならないでください。お願いします。

灯のない夜道はこわいのこと

住宅街の路地のなかには、灯がほとんどあたらないところがあります。

そんななか、前方から、おじいさんらしきシルエットが歩いてきましたが、顔が影になっていて全く見えません。どうやら小型犬を抱きかかえているようですが、この犬の顔も影になっていて全く見えません。しかも、おじいさんの足取りはスタスタではなくヨタヨタとしていて、なんだかちょっと怖いのです。

付近には街灯がないため、わたしが不安に思うのと同じだけ、このおじいさんもわたしのことがよく見えないだろうと思い、大きな声で「こんばんは!」と挨拶をしました。暴漢などと間違われないよう、怪しくない人物ですアピールをしたかったのです。

しかし、おじいさんからの返事はありませんでした……。

明るいうちなら、「あ、おじいちゃん、気づかなかったんだろうな。」で済むような些細なことですが、夜、顔の見えないなか、無言で立ち去られると、もう、それだけで怖い。「え、あれ、ほんとうにおじいちゃんだったかな?」とか、意味もなく考えてしまって、非常に怖い。

ただ人が歩いているだけでも十分怖いのだから、灯のない夜道で妖怪やら魑魅魍魎やらの話が出るのも頷けます。怪談は、どちらかというと夏よりも、秋の日はつるべ落としの、まさにこの時期に盛んになるべきではなかろうか。

ちなみにわたしは、怖い話が非常に苦手です。

ストックがなくなったのこと

「こんな絵が見たいなー」とか、「こんなことを伝えたいな」と思うとき、ここ数年あまりは大概昔描いた絵のフォルダーを漁っていた。「あ、そうそう、こんな絵とコトバ、描いてたよね。よし、もっぺんここに上げてこう」と、リユースを繰り返すうちに、この絵もあの絵も、めぼしいものはみんな公開してしまっていることに気がついた。ついに、ストックがなくなってしまったのである。

見たい世界があるのなら、あとはもう、自分で新たに描くしかない。ついに、このときがきたか……。(おおげさ)

 

なんでもない日の圧倒的な夕焼けのこと

自然は突然、圧倒してきます。辺境の地や誰も知らない山の頂に登らずとも、よく通る道中の、とくになんでもない日のおわりに、圧倒的に美しい夕焼けを惜しげもなく見せてくれます。そのすごさを前に、わたしはとにかく圧倒され、ただただ口を開くばかり。はわわ、すごい。

ちなみに、中秋の名月の1日あとの満月も、白くて柔らかで美しいですよ。

中秋の名月のこと

今宵は中秋の名月です。確かにその名にふさわしい、色濃い光の、存在感ある月でした。こういうものは見た目以上のものが心に届くので、「見たつもり」になるのではなく、実際に外へ出て、自身の五感を使って感じられるようにしています。今宵も、コトバにできないなにかが、内側まで伝わってきましたよ。ほくほく。

雨月であれば、少し残念ですが、思いっきり自分好みの月を想像するのも好きです。

川越のこと

木の家具と豆本展を見に、川越までやってまいりました。

すてきな作品、いっぱいでした。ちっちゃな本をつくるワークショップにも参加できたし、紙と文字の奥深い世界についていろいろ聞けました。深い。すごい。手作りする仲間がいるっていいなあ。

さて、川越はものすごくたくさんの人が押し寄せる観光地です。はじめてきましたが、人の多さに驚きました。夜になると、歓楽街や駅周辺も賑やかで、とても活気のある街なのだということがよくわかります。

一方、歓楽街から戻ってくれば、観光のメインストリートは真っ暗で、地元の人たちのための静かな道に戻っているのです。

昼間はごちゃっとするものの、夜は静かだし、住みやすい街なのではないだろうか。

旅の準備のこと

旅の前は、すこしどきどきします。とくに、道中、大都会東京を通り過ぎなければならないところが不安です。なんとか迂回したいけど、そうもいきません。都会こえー。

歌と絵のこと

よく聴いていた歌に合わせて、絵も浮かびました。そういえば、むかしは、歌から思い浮かんだものを描いていたのでした。

昔を振り返るときは右向き、未来への強い意思は左向き。なんとなく、そんな傾向があるような、ないような。