農作業していたら、少し離れた場所で鳥の声。そのまま作業を続けていると、なんだかいろいろな声がする。
そんなにたくさんの鳥がきているのかしらと見上げてみれば、枝先に、たった一羽の百舌(もず)の姿。
百の舌と書くだけあって、次から次へと声色とメロディを変え、歌う百舌。
すごいわい。
農作業していたら、少し離れた場所で鳥の声。そのまま作業を続けていると、なんだかいろいろな声がする。
そんなにたくさんの鳥がきているのかしらと見上げてみれば、枝先に、たった一羽の百舌(もず)の姿。
百の舌と書くだけあって、次から次へと声色とメロディを変え、歌う百舌。
すごいわい。
「わたしは、こういう自分になろう。」と描いてみて、わかったことがある。
まず、わたしは、わたしの中身に満足している。(中身を変えようという気は毛頭ない。)
そして、わたしは、わたしの身体に満足している。(どっしりふっくらの自分はたくましくて愛らしい。目鼻立ちがちょうどよく気が抜けているところもいい)
さらに、わたしは、わたしの髪の毛に満足している。(ぼっさぼさになるほど毛量の多いのが自慢だ。)
不満なのは、衣服だけ。なんというポジティブ!
大樹がそこかしこにある街にあこがれています。
木の都合に合わせてつくった道と家とかね。
このよの すべてを つめこんだ ぶあつい さなぎを ぬぐ ときが きた。
という感じのラクガキ。
生きている間に、さなぎのなかで一度どろどろに溶けてから、姿形も器官も全く異なるいきものになるって、すげーことだと思います。
虫、すごい。
ラクガキを一旦消し、その上に新たなラクガキを描いたラクガキです。
リサイクルというより、リユースかもしれない。
しげみから「ホーリョホリョリョ」と声がする。
あんな鳴き方は聞いたことがないが、あの澄んだ美しい声は知っている。
ウグイスさんだ!
ウグイスさんは、毎年、春のはじめに練習を始め、春の終わりから夏頃に素晴らしく上手な歌を披露してくださる。今年も練習を開始されたのだろう。
でも待てよ?毎年練習されているということは、ウグイスさんたら冬などにはお歌を歌わず、ちょっと歌い方忘れてもーたみたいになってるってことよね。
めちゃめちゃかわいいな。
ぐーたらが極まり、ついに人類は、手すら使わず、髪を使うようになった。
的なラクガキだと思います。
冬を越え、春の野から湧き立つたまのをのラクガキ。
季節は足元からやってくる。
「うつくしい」という言葉の豊かさを、せばめないでほしいと願うラクガキ。
「連れ歩いたら自慢できる」という価値観では、いつまでたっても、目の前の存在と向き合えないと思うんだ。
「今日の春雷で、寝ていた最後のカエルも起きたね」と母。
それはとってもかわいいなと思い、絵にしてみました。