不思議な靴の穴の話のこと

数年前、ひとり旅をしたときのこと。

バス停留所の待合席が空いておらず、手持ち無沙汰でおもてに佇んでると、道の端っこの小さな看板が目に入った。「正一位〇〇稲荷大明神参道」とある。わたしは動揺した。気づかなかったとは言え、お稲荷さんの参道に足を踏み入れていたのだ!当時のわたしの中で、お稲荷さんと言えば礼儀を尽くさねば怒られるというイメージがあり、定期的に通えない場合はご挨拶すら遠慮した方がいいだろうと思っていた。しかし、参道に入ったならば、挨拶せねばその方が失礼だろう。どきどきしながら参道を上がると、小さなお社が見える。ぽっかりと明るい雰囲気に、優しいお稲荷さんかも、とほっとした途端、階段に右足がひっかかり、どじゃっと転んでしまった。怪我もなくどこかを痛めることもなかったが、お稲荷さんの境内で転んだという事実にしょんぼりしてしまい、無用にびくびくしていた態度がいかんかったんだろうかと反省した。手を合わせ、旅先であること、参道に足を踏み入れたので挨拶させていただいたこと、必要以上にお稲荷さんを怖がってしまってごめんなさい、といったことをお伝えしたと思う。

同じ日、バスで移動した先には、無人の温泉場があった。そこは建物の入り口に小さなお地蔵様がおり、入浴料はお地蔵様へのお賽銭として納める方式だった。わたしはお地蔵様がとても好きなので、お賽銭を入れ、手を合わせて温泉に入らせていただくことをお伝えした。温泉は熱めで、身体がシャンとした。歩きっぱなしでとても疲れていたのに、湯から上がると生き返ったように瑞々しく元気が溢れてきた。こんなことは初めてだったので、とても驚いたのを覚えている。

さらに驚いたのは、靴だ。さあ出発しようと靴を持ち上げると、右足の靴底が抜けて、びろーんと穴が空いている。はじめてのひとり旅、せめて履き慣れた靴をと、しぶとく使ってきた靴をおともにしてきたが限界だったようだ。確かに少し違和感があったものの、こんな大穴に気付かず歩いていたなんて!

そして、はっとした。もしかして、さっきのお稲荷さんは、この穴あきボロボロの靴のこと教えてくれたのでは?

その後、勝手がわからぬ旅先で靴を買うなど大変だったが、ともあれ、このお稲荷さんとお地蔵さんから教えてもらった靴の穴のことは、忘れられない、なんとも不思議な体験だった。