毎日の防災のこと

災害時は「平常時の確認」だ、と言う人がいた。

災害は、わたしたちのいつもの暮らしの延長線上にあり、普段の備えや関係性などがそのまま明るみになるからこそ、訓練も含めた日々の備えが大事なんだ、と。

だから、年齢も性別も職業も関係なく、和気あいあいと助け合えるような社会を作りたいんだ。

社員食堂のこと

社員食堂を見れば、その会社の現在と未来がわかる……なんてことを考えてしまうくらい、しょんぼりな空間に入る機会がありました。

部屋を構成するあらゆる要素がつくりだす窮屈で狭量な空間では、誰かがおいしいごはんを作ってくれることもなければ、自身で作る機能があるわけでもありません。だからと言って、社外へランチに出る自由もなさそうです。

経営陣が、働くヒトのこと考えていないことが、こんなにもよく伝わる空間があるのかと、驚きました。

白い毛布さんのこと

白い毛布さんは、毛布と言いつつサイズはブランケットで、おなかがふあんなときに登場します。

おなかがあぶないと感じたとき、実際におなかをこわしてしまったとき、白い毛布さんを巻きつけてじっとしていると、すぐにほかほかあたたまってきます。

白い毛布さんが我が家にやってきたのは数年前ですが、着実に実績を積み重ね、その信頼は確固たるものとなっています。

今日もわたしは白い毛布さんにお世話になっています。いつもありがとう、毛布さん。

畑はエゴのかたまりであるのこと

畑はエゴのかたまりである。

自分が育てたいものだけをあからさまに贔屓し、それ以外のものは引っこ抜いたり刈り取ったりする。

草たちが一週間足らずで築き上げた伸び放題の一大帝国は、エゴ丸出しのヒトの手で容赦無く引っこ抜かれ、わずか10分足らずで壊滅状態に陥った。密集した草地に安住していた虫たちも、恐ろしいヒトの魔の手が伸びる寸前に、四方八方へ脱出し、残ったのは、ヒトにとって都合の良い植物と良質な土塊だけである。

…というようなことを考えながら、畑しごとに勤しみました。

梅漬けのこと

我が家の片隅にいる梅たち。

そとの世界のことなどおかまいなしに、静かにゆっくり変わっていきます。

それをじっと感じとれるような、生き方がしたい。

父とわたしの特別な手のこと

梅を漬けましてございます。

透明瓶には、我が家で収穫した小さな盆栽の梅ちゃん、後ろにちらっと見える茶色のかめには、スーパーで購入した小梅が入っています。

いずれも、つい先ほど塩もみした赤じそを加えたところです。

赤じそから出る色の良し悪しは、もんだ人の手によるそうで、我が家では父とわたしが向いている…と言われ続けてきました。

自分の手は特別な手だ…と思い込んでいる父とわたしは、梅を漬ける時期になると、そわそわしだし、今夜も我先にとしそを漬ける作業に取り掛かりました。

信じる気持ちが肝心なようで、今年も、きれいな赤色に染めることができました。

そうして父とわたしは、また自信を深めていくのです。

小さな小さな小さなカエルたちのこと

とても多くのカエルたちに行く手を阻まれるという、得難い体験をしました。

肉眼で確認できる範囲で5ミリから1.5センチのカエルたちが、雨の森の小道を山に向かって進んでいました。雨に濡れたアスファルトと同じ色なので、地面との見分けがつきませんが、ぴょん、と跳ねると、その存在がわかります。しかし、動かなければどこにどのくらいの数がいるのかも分からない状態です。

小さな目を見開いて、カエルたちのいない場所を選んで前へ進みましたが、足の踏み場が辛うじてある程度の密度で大量に進行していたので、10メートル進むだけでも非常に神経を使いました。

目的地はまだ先だったのですが、それよりもこのカエルたちの方が面白かったので、それ以上進むのはやめて、じっと観察することにしました。

それにしても、このカエルの小ささ!オタマジャクシの頃は一体どんだけ小さかったのかしらん。

こんなに小さな方々が、一斉に山の中へ向かって、なにをするのかしらん。

不思議です。

のびやかな森のこと

松島と平泉を訪れて、一番感動したことは森の美しさです。

御神木として大切にされていそうなくらい大きな木がそこら中に生えていて、光を受けた葉がキラキラして、本当にきれいでした。

来てよかった。

読み解き、伝える力のこと

ブラタモリの影響で、訪れた土地の地形や地質が気になります。

高低差や曲がりくねった道、露出した岩肌などを見て、「おっ」と思うのですが、当然ながら専門家の先生がいないので、何がなんなのか分かりません。

ネットで調べても、論文は専門用語も図も難解で、ぱっと見ただけでは分かりません。

あの情報を素人にもわかるように伝えるっていうのは、とてもすごいことだし、そういう力こそ、これから大切になると思います。

鉄のフライパンのこと

我が家のフライパンを鉄製に変えたら、料理がめちゃんこ美味しくなりました。

テフロン加工のフライパンは、わりと早く加工がはげてがさがさになってしまい、よく買い換えていましたが、「こげつかない」という謎の安心感は捨てがたく、長い間利用してきました。

しかし、NHKの「ガッテン!」で取り上げられた「鉄の魚」を観て、毎日の調理器具から鉄分をとることがとても魅力的に思えました。そして購入したのです、鉄のフライパンを。そして、料理したのです、焼き物、炒め物、汁物等々いろいろなものを。そうしたら、美味しく感じるんですよ、なんだかとっても。焼いたものは表面がパリッと、汁物も味に深みがあるような・・・。錯覚かもしれませんが、毎日のごはんが美味しくなったと感じています。

鉄のフライパンを長持ちさせるためには、「洗ったあとに、もう一度しっかり焼く」という工程が必要になります。当初はめんどくさくなっちゃうかな、と思っていたのですが、焼けていくフライパンの表面をみるのがとても楽しく、この一手間もなかなかいい感じなのです。

もちろん場合によってはテフロン加工のものも使っていますが、鉄のフライパンの素敵さに気づいた今では、「こげつかない」「さびない」という利点がちょっと色褪せて見えるような、なんだか後ろ向きな印象となってしまいました。

じっくり鉄を焼き、表面の色がじんわり変わる様をみるのが好きです。