レモンちゃんの新芽にょきにょきのこと

昨年の夏に、我が家に来てくれたレモンちゃん

暖かいうちは、ぐんぐんと新しい葉が出て大きくなっていたのですが、冬は成長をとめ、じっと寒さに耐えているようでした。大丈夫かなと心配していたら、いつのまにか枝と枝の間に新芽をつけているじゃありませんか!わー。これがひとつひとつまたにょきにょきと大きくなっていくのね!楽しみだー。

ちなみに絵は、先日目撃した新芽を思い出して描いたもの。結構うろ覚えなので、またちゃんと観察しておきます。

 

横ジマの国のラクガキのこと

横ジマの国のラクガキ。

横ジマの国の民は、基本横ジマのものを身につけています。

一見無地に見えても、それは巨大な横ジマの一部を引き伸ばしているだけで、見えない部分にシマはあるのだ、と。いつも心に横ジマがあるのだ、と。

そんな国です。

雑草を描くのは難しいのこと

私の趣味は、植物の絵を描くことです。

特に、「昔からその土地に根付いている植物」を「自然そのままに描く」ことを好んでいます。「昔からその土地に根付いている植物」とは、平たく言えば「雑草」などのことですが、この雑草を描くというのが、なかなか難しいのです。

意外なことに、雑草はいつでもそこらじゅうに生えているわけではありません。季節や土地の環境や状態によって生え方も生えている種類も変わります。田んぼや畑の近くなら当然生えているだろうと思いがちですが、むしろ雑草を目の敵にしているヒトビトの手により、全て引っこ抜かれたり、除草剤を撒かれて枯死したりすることも多いのです。雑草がぼうぼうに生えている場所を見つけたとしても、芝生や牧草などヒトに都合の良い種類が幅をきかせていたり、狙っていたものとは違う種類の雑草が占拠していたりします。

運良く狙っていた種類を見つけたとしても、全てがモデルさんになれるわけでもありません。植物画は、もともと図鑑に載せるために発展した絵ですから、その種の特徴を総合的に表しているものを選ばなければいけません。それは、図鑑掲載とは無縁の趣味であっても同じこと。生え方や最盛期かどうか、病気や虫食いがひどく状態が悪くないか、絵としての美しさや面白さが出せるかなどを判断した上で「描きたい!」と思うモデルに出会うまでがなかなか大変です。

さらに、「これぞ!」というこを見つけたとしても、悠長に絵が描ける環境かを見極める必要もあります。わたしの場合、基本的に植物は採取せず、その場でラフスケッチをし、詳細は資料用にバシャバシャ写真撮影しますので、そこが民家の庭先である場合は、きっぱりと諦めなければいけません。なぜなら、庭先に不審なおばさんが長時間座り込み、家の方向を熱心に撮影していたら通報されかねないからです。車の通る道路脇は危険ですし、人がよく通る道端も、具合が悪くなって座り込んでいると無用に心配されたり、野菜泥棒かと怪しまれたりする可能性も高く、難しいところです。

本日も、「春の野草を描くぞ!」と意気込んで、農道や民家の付近をうろうろすること40分。ついに、「これぞ!」というのを見つけられず、帰ってきました。とほほ。

支度を整えて寝るのこと

明日の支度を整えてから寝る、という習慣はついに身につかず、起きてからテキトーなものを見繕うということを普段から繰り返しています。

今日は、明日の支度をしてから寝るという、珍しい方の夜。

明日はまた、どうなることやら。

北極星のこと

冬の空、オリオン座と、そこから少し離れたシリウスはとても見つけやすいのに、夜空の基点となる北極星をすぐさま見つけられた試しがない。

あてもない海原で道に迷う前に北極星を見つけられるようにならなければ。

 

格好悪いラクガキを差し替えるのこと

この場所に載せたツノのある者のラクガキが、何度見直しても格好つけすぎでむしろ格好悪かったので落ち着かなくなり、別のツノのある者をラクガキして差し替えたところ、等身大で格好つかない感じがむしろ落ち着く仕上がりになりました。

カッコワルさは同じなのに、不思議なことです。

 

無題のこと

贈り物だよ、と目の前に差し出されたのは、重く分厚いルールブックだった。

ここには、人間が作り上げたありとあらゆるルールが載っている。これに従えば、君も社会に認められる立派な人物になれるだろう、と満足そうに笑うヒト。

なんて的外れなんだろうと、ぼくは思った。

ぼくはただ、祝福されたかっただけだ。ぼくらが各々の力で、よいものを見つけ、実現することができるよう、あたたかい言葉をかけてもらいたかっただけなんだ。

そんなことすら、叶わないのか。