後悔先に立たずのこと

夏の間中、とれてとれて困るほどだったキュウリ。

塩もみしたり、梅酢につけたり、佃煮にしたり、炒めたり、工夫をこらしてなんとか食べ終えても、新しいキュウリがやってくるおそろしさ。

すごく美味しいからとりあえず食べられるけれど、このままキュウリを見続けたらいやになるかもと、秋にとれるキュウリの苗はあえて植えませんでした。

しかしお盆がすぎ、キュウリがとれなくなると、食卓から「箸休め」が消えたことに気づき、物足りなさを感じている自分がいました。キュウリが食べられなくなって数日もたたないうちに、もうキュウリロスを感じているのです。

秋キュウリ、植えとけばよかった……。

よく寝るのこと

季節の変わり目は、気圧の変化にも敏感になりがちです。

眠くて眠くてたまらなかったので昼寝をしたら、夕方になっていました。

増えかたの多さのこと

今更ながら、いのちの増やし方のレパートリーの多さに脱帽です。

特に、環境もほかの生きものも全て身内として成り立つ生殖方法なんぞを知るたびに、ただひたすらすげーと口が開きっぱなしになってしまいます。

皮膚の内側にある部分だけが、自分ではないってことよね。

雨の日の手仕事のこと

晴れたら外でしたいことがあったけど、朝から雨が強く降っていたので早々と諦めました。

かわりに取り出したのは裁縫道具。穴の空いた衣服のかけつぎをすることに。

裁縫の一番いいところは、どんなものでも出来上がったら着られるようになるというところです。

出来栄えはほどほどですが、自分で使うものなのでこまかいところはどーでも良いのです。

赤紫蘇に戻るのこと

連日のべっとりした暑さにより、あせもが広がってしまいました。

手元に赤紫蘇がなく、無精して、昔買ったハーブクリームを塗り、さらに悪化。ここ1週間ほど、何をしても痛がゆい状態に。

こんなに炎症が広がってしまったら、さすがの赤紫蘇さんでも無理よねと思いつつも、いつものように水で濡らした赤紫蘇を絞って擦り付けると、ちくちく炎症をおこしていた肌にかさぶたができて、かゆみが治まってきたではありませんか!

実は、別のものを塗りたくって悪化させるのはこれが初めてではありません。

いい加減、赤紫蘇様のすごさを信じ、無精しないようにしたいと思います。

8月15日のこと

そのヒトが辿った道や、幼少期を過ごした街のことなどを聞いて想像するのが、なぜだかとても好きです。

両親や親戚、ご近所さんなどから今は無き生家の話を聞き、間取りや周囲の様子を書いたり、故郷まで連れて行ってもらったこともありました。

目に映る景色とは違う、そのヒトの目に映る昔の街並みを想像すると、幾重にもいろんな世界が重なりあって存在しているように感じます。

何千年と繰り返される8月15日という日に、ご先祖様方のことを思いました。

いつもの石の下に入れ替わりのこと

2〜3日に一度、同じ水路に入って魚をとってみる。

せまく距離が短い水路では、魚が潜り込みそうな場所にある石も限られており、毎度同じ場所の石を持ち上げてはガサガサと網をいれている。

こう頻繁だとこの場所の魚をとりつくしてしまうのではという心配は、毎度同じ石の下にいらっしゃる誰かしらのおかげで、杞憂に終わっている。

生きものがいられる場所が空けば、すぐに新しい誰かが身を寄せるのね。

100%になるってこういうことかな。

びしょ濡れのこと

雨がざんざか降ってきて、シャツもズボンもびしょ濡れになりました。

少し濡れたくらいでは、これ以上濡れないように雨を避けるところですが、びしょびしょになるとむしろ暑さが和らいで気持ちいいなという気持ちになってきます。

久々の楽しいびしょ濡れでした。