まんがのような今朝の月のこと

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明け方、まんがのように恐ろしく大きな赤い月が西の空に浮かんでいるのを見て、↑のようなことを素で繰り広げました。異界への扉が開いたかと思い、大変動揺しました。

このあと、高い場所に登ってよく見ようと思ったときには、月はどこにもいなくなっていて、さらに動揺しました。たぶん、すごいスピードで月が沈むところをたまたま見かけただけだったのでしょうが、偶然が重なりすぎて何かに化かされているのではと焦りました。

本日がスーパームーンだということは、その後ネットで調べて知りました。

自然、ミステリアスすぎる。

なお、振り返ってみると、今朝方の自分の焦りようは、まるでドラえもん映画冒頭ののび太くんのようであったと、ひとり納得し、まんがを描いてみようと思い立ちました。

読んでくださる方は、左から右へ読み進めてくださいね。

いきいきキャベツのこと

散歩中、立派なキャベツたちに出会いました。

雨上がり、たっぷりとした大粒の雫がとても美しく、キラキラと輝いています。

どのキャベツもいきいきと生きていました。

鳥のサギさんが好きであるのこと

わたしは鳥のサギが好きである。見かけるたびに「サギーさーん!!」と大きな声で呼びかけたいくらい好きである。(人目をはばかる必要のない場所では、実際に叫んでいる。)

しかし、好きであることと、知っていることは別である。

もともと今日の投稿は、「ゴイサギ」やカラスたちが、田おこしの耕運機のあとを追いかける姿がのどかで可愛らしく、「耕運機うらやましい」ということを書く予定だった。

大好きなサギの話題なので絵も添えようと、うきうき描き始めたが、全く描けない。漠然とした形は浮かぶが絵に描いてみると、なんだか違うものになる。これはいかんと思い、ネットでサギの姿を見てみることにした。ついでに耕運機のあとを追いかける「ゴイサギ」の動画でもあれば、参考にしようかなと検索してみると、わたしが思っていたサギよりも一回り小さなサギが出てくる。そう、わたしが長年「ゴイサギ」だと思っていたサギは「アオサギ」だったのだ。大好きなサギなのに、姿形を描けないどころか、名前すらあやふやだったのだ。

ちなみに、よくみかける素敵な白いサギさんたちも、「ダイサギ」なのか「チュウサギ」なのか、たぶん、見分けがついていない。

でも、好きなんである。

イメージの中のいもむしのこと

イメージの中のいもむしを落書きしました。

左側は、架空の世界に住む、あまり虫に興味のない人でも抵抗なく受け入れてもらえそうな、いもむしです。ひたすらニコニコと歩き、そのうち足がもつれてひっくり返っちゃう感じ。

右側は、「あれ?ほんもののいもむしって、どんなだっけ」と不安になったわたしが「いもむし」のイメージを思い起こしながら描いた、いもむしです。自分の好きな葉っぱの柔らかいところだけを狙って食べ、筋はみんな残しちゃう感じ。

右側のいもむしも、左側よりはリアルに見えるかもしれませんが、何かの種を再現しているでもないし、あくまでどちらもイメージの中のいもむしに変わりはありません。

イメージの幅って広い。

ちなみに、昨日の投稿はなんとなく前向きではなかったなと書き直したら、ほとんど違う文面になりました。絵も添えたりなんかして。

自分好みの服を探すのこと

「衣類をつくる力」をおろそかにしてきたわたしには、今のところ、自分好みの服を見つけて買うという手段しかない。

着たいのは、機能的で 肌にやさしくて 体系も気にせず着れる 見た目もシンプルなものである。ただ、顔つきが平凡でぼんやりしているので、色目ははっきりした色合いのほうが割合似合う気がする。こんな服、そんじょそこらにたくさんありそうだが、見つけるのはなかなか難しい。

つい先日も、冬定番の軽いダウンジャケットの洗い替えを買おうと店を訪れたが、女性ものは冬に溶け込みそうな暗い色のものしかなかったので、男性ものの明るい青を購入した。家用のリラックスウェアとして、テキトーな男性ものはいくらかもっているが、ちゃんと外で着るものとしてはこれが初めてだ。男女それぞれ着比べてみて、体系に合わせた仕様になっていることにこれまた初めて気がついた。男性ものは肩から背中や胸元の空間にゆとりがあるが、手元と腰幅がきゅっと狭まっている。女性ものは手元や腰元まで含めてゆるくふんわりフィットし、寄り添うように暖かい。

ボリューミーな体系のわたしには、男性ものの腰元はちと窮屈なきもしたが、そんなに気にするほどでもなかったし、形も変ではなかったし、何よりダボっとした形と色が気に入った。

選択の幅が広がってよかった。ふふふ。

陽の光はすごいのこと

まちから、家庭菜園用の小さな畑を借りています。

朝から土作りをしに畑に行くと、一面霜が降り、カチコチに固まっていました。太陽は昇っていたものの、我が家の畑のあたりは建物の影の中。光と影を境目にして、ハタケの状態はまったく違っていました。

芽の上の霜、土のカチコチ具合などを観察しつつ耕すうちに、我が家の畑にも太陽の光がのびてきました。すると、あっという間に、霜が溶けてなくなったのです!その間、わずか1分程度。小さな芽にびっしりとおりた霜が陽の光できらきら輝きながら水へと変わる、その様のきれいなこと!

耕した土も陽の光で温められ、作業が終わる頃には表面が乾燥しだしていたのだから、驚きです。

こんなことが、毎日起こっていたのか。

無意識に広がる落書きのこと

こわくない宇宙をゆったりただようようなうたを聴きながら描いたのだけれど、なんだか不安な感じに見えるかもしれない。背景を真っ黒にしてしまったからかもしれない。

コンプレックスについて描いたものもそうだけど、こういう落書きの中心人物には主だった表情がなく、いつもぼんやりしている。じぶんの意思とは関係なく、「無意識」にじぶんから広がるものを描きたいのかもしれない。

謎です。

となりの名人のこと

料理やお菓子や漬物や、裁縫、菜園、ものづくり、楽しい会話や細かな気配り、さっと行動できる格好良さにいたるまで、家の灯りの数だけ名人がいて、名言や名物もあるんだろうなあ、と思うと、世の中おもしろいなと思います。