「普通」ではないわたしを楽しむのこと

「普通」とは。

手元の辞書で調べてみると「他と変わっていないさま。ごくあたりまえなさま。なみ。通常。」とあった。(……ちょっとわかりにくいなこの説明。ちなみにこの辞書、「あたりまえ」で引くと、「当然。ふつう。尋常。」と出る。無限ループである。)

グーグルさんで調べてみると「いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。」と出た。

要は、「普通」という言葉がもつ意味は、そんなに大したものではないのだ。だがこの国で暮らしていると、「普通」という言葉の呪縛を感じてしまう。

「普通」といわれるヒトが、仮に、統計的にもっとも多いヒトであるならば、おばさんになっても実家で楽しく暮らしている時点で、わたしはもう普通ではない。

「普通」といわれるヒトが、仮に、経済的にもっとも求められるヒトであるならば、化粧品をひとつも持たない時点で、わたしはもう普通ではない。

「普通」といわれるヒトが、仮に、ハンディキャップがないヒトとするならば、眼鏡をかけなければ生活できない時点で、わたしはもう普通ではない。

自分が「普通ではない」ということを受け止めた途端、人生はもっと面白く生きやすくなるので、「普通」に悩んでいるヒトにはぜひともオススメしたい。