この世はわたしの鏡のこと

最近お絵描きできてないぞ、と思うときは、大概ぎゅうぎゅうしているときだ。

おっとりのんびり眠すぎて絵も描かずに寝てしまう日は、今日も描けなかったな、なんて思わない。(むしろ、おさぼりしてるのだ。)

なんかうまくいかないときほど、「表現」したくなるのかも。

しょんぼりした状況におかれた自分を上から見てみると、数日前まで、そのまわりで無関係だと切り捨てていた自分も見えてくる。

この世は自分の鏡だ、ということに気付くための時間なのね。

よれよれとほほのこと

よれよれでとほほな日だ。

まだ家に帰れていない。

でも、同じ時間の電車にたくさーんヒトが乗っていることを知った。

むしろ、多い。満員に近いんじゃないの?

へべれけでもなく、楽しそうでもなく、疲れた顔で夜中の電車に乗るヒトたち。

そうだったのね。

コウガイビルのこと

いつものアスファルトの道で、こんな生きものと出会えたときの衝撃といったら。

あ、ミミズ、ん?んん?!と、凝視し、よき観察してみても正体が掴めず、とにかく写真に納めることにしました。

ネットで調べたところ、コウガイビルと呼ばれているようです。名前にヒルがつきますがヒルとは関係なく、プラナリアの仲間とのこと。

ナメクジやカタツムリなどを食べる肉食で、体の中央部に口がある……え?あの、実に特徴的なところが頭じゃないの?

面白すぎます!

ヤモリちゃん、再びのこと

本日ふたたびヤモリちゃんにお会いすることができました。台風の雨風から逃げてきたのか、網戸とガラスの間にぺちょりといらっしゃいました。(かわいい)

体長は、前回お見かけしたときとほぼ同じくらい。「ちっさい」「かぼそい」という言葉が似合うハラハラするような儚さです。すっかりヤモリちゃんに夢中のわたしは「ヤモリちゃん!」と声をかけ、メロメロと眺めていました。(かわいい)

台風も去ったことだし、夜だし、きっとこれからご飯を食べるに違いない、と窓を少し開けると、ヤモリちゃんは外へ向かうそぶりをしつつも、じっと止まっています。窓の開けっ放しは不用心なので、なるべく早めに閉めたいなと思いつつも、ヤモリちゃんがしっかり立ち去るのを確認してからでないと、心配で閉められません。(かわいい)

「ヤモリちゃんがいるよー!」と騒いでいる間もじっとしていたのに、父が「どこだどこだ」と大きな声でドスドスやってくると、その振動とともにぴゅうっと外へ出て行ってしまいました。(かわいい)

もっとぶっとくたくましく大きくなってほしいという気持ちを込め、「いっぱいごはん食べるんやで」とお声がけしましたが、そのためには、うちの庭の生態系を豊かにしなきゃですな!よーし!

生きものセンサーのこと

わたしの生きものセンサーは、だんだんと磨かれてきました。

朝、街なかで落ち葉の上でもぎもぎ動いていた2ミリ程度の白い虫に釘付けになり、行き交うヒトビトのことなど無視して、ひとり撮影会を開催したり。(小さすぎてピントが合わず、ちゃんと撮れるまでに3分程度はその場でわたわたしていました。)

夜、暗闇のなかで木に登る(降りる)大きなカタツムリたちの姿をとらえたり。(朝よりたくさんいた気がしました。夜行性なのか、雨上がりだからなのか。)

こと、小さな生きものたちについては、見逃さないぞという、意気込みです。

不思議な靴の穴の話のこと

数年前、ひとり旅をしたときのこと。

バス停留所の待合席が空いておらず、手持ち無沙汰でおもてに佇んでると、道の端っこの小さな看板が目に入った。「正一位〇〇稲荷大明神参道」とある。わたしは動揺した。気づかなかったとは言え、お稲荷さんの参道に足を踏み入れていたのだ!当時のわたしの中で、お稲荷さんと言えば礼儀を尽くさねば怒られるというイメージがあり、定期的に通えない場合はご挨拶すら遠慮した方がいいだろうと思っていた。しかし、参道に入ったならば、挨拶せねばその方が失礼だろう。どきどきしながら参道を上がると、小さなお社が見える。ぽっかりと明るい雰囲気に、優しいお稲荷さんかも、とほっとした途端、階段に右足がひっかかり、どじゃっと転んでしまった。怪我もなくどこかを痛めることもなかったが、お稲荷さんの境内で転んだという事実にしょんぼりしてしまい、無用にびくびくしていた態度がいかんかったんだろうかと反省した。手を合わせ、旅先であること、参道に足を踏み入れたので挨拶させていただいたこと、必要以上にお稲荷さんを怖がってしまってごめんなさい、といったことをお伝えしたと思う。

同じ日、バスで移動した先には、無人の温泉場があった。そこは建物の入り口に小さなお地蔵様がおり、入浴料はお地蔵様へのお賽銭として納める方式だった。わたしはお地蔵様がとても好きなので、お賽銭を入れ、手を合わせて温泉に入らせていただくことをお伝えした。温泉は熱めで、身体がシャンとした。歩きっぱなしでとても疲れていたのに、湯から上がると生き返ったように瑞々しく元気が溢れてきた。こんなことは初めてだったので、とても驚いたのを覚えている。

さらに驚いたのは、靴だ。さあ出発しようと靴を持ち上げると、右足の靴底が抜けて、びろーんと穴が空いている。はじめてのひとり旅、せめて履き慣れた靴をと、しぶとく使ってきた靴をおともにしてきたが限界だったようだ。確かに少し違和感があったものの、こんな大穴に気付かず歩いていたなんて!

そして、はっとした。もしかして、さっきのお稲荷さんは、この穴あきボロボロの靴のこと教えてくれたのでは?

その後、勝手がわからぬ旅先で靴を買うなど大変だったが、ともあれ、このお稲荷さんとお地蔵さんから教えてもらった靴の穴のことは、忘れられない、なんとも不思議な体験だった。

今宵の月の存在感のこと

一歩、外に出て、すぐ分かった。今宵は満月だ。

屋根に隠れて見えずとも、その圧倒的な存在感に目がくらむ。黒い世界に、明るく白い月の影。

よりてみれば、そりゃあもう、空に浮かぶ黄色のまん丸から、光線がまっすぐわたしのもとまで届いていますことよ。

姫でなくても、のぼれそうな満月でござった。

…と思いきや、調べましたら満月でも一歩手前でござった。

満月一歩手前にしてあの魔力!と、むしろ恐れおののきました。

ハッカ・ホクトのこと

ハッカ・ホクトという古風な名前につられて購入し、庭に植えて早一年。花壇を飛び出さんばかりにのびのび成長しています。

たぶん、あの花壇から飛び出した、地面を這う茎の一部から根っこが生え、知らぬ間に花壇の外で定着し、どんどん歩いて行きそうな勢いです。

そんな拡大計画を利用して、のびのびを無情にカットし、お風呂で楽しむヒトの一味です。

ハッカ湯は、すっきり気持ちよくて、すんばらしいです。ありがとう、ハッカ・ホクト。