久々のラクガキです。古代オリエントのことを考えすぎました。
イソヒヨドリのさえずりのこと
春先によく聞いていたあの美しいさえずりが、また聞こえだしました。
イソヒヨドリのさえずりです。
まだこんなに暑いというのに、やっぱり秋はきていたのですね。
父の畑のトウモロコシのこと
今年は、父の畑のトウモロコシがよく育ちました。
甘くて風味も豊かでとても美味しい上に、若い頃は水分たっぷり、よく熟すと実が引き締まり食べ応えが増すといった違いにも気づくことができました。
暦の上では秋になり、父の畑のトウモロコシも終わりました。
でも、あの美味しさが忘れられなかったので、北海道のちょっと良いブランドのトウモロコシを購入して食べました。確かにとても甘くておいしいトウモロコシでした。でも、風味というか、豊かな味わいが感じられません。
地のものをすぐに食べるということは、とても大事なのだと思いました。
ほぼ一合飯のおにぎりのこと
ほぼ一合くらいのご飯をぎゅっぎゅと握り、梅とこんぶを入れたおにぎりを作る。
わたしの定番のお弁当で、これがあると朝からにまにましてしまうくらい嬉しいのだが、まわりの人にはあまり羨ましがられない。
こんなにおいしいのに。不思議なことだ。
セミの姐さまをオリーブへのこと
セミの姐さまがベランダで倒れておられました。足をじたばたされて、まだ生きておられます。
そっと指におのせして、庭先のオリーブへ移動していただきました。
生きてる間、快適に過ごしていただきたい。
歌うことが好きのこと
久々に、大声で歌う。
体の調子を崩してからしばらく歌う気にもならなかったが、今では随分のびのびと声が出るようになってきた。
わたしは歌うことが好き、ということを思い出した。
終戦記念日のこと
テレビの戦没者慰霊式の映像を見ながら、黙祷した。だからだろうか、戦争で亡くなった人々を追悼し祈を捧げるとき、頭に浮かぶのは日本の戦没者だ。
「終戦」について調べてみると、「第二次世界大戦の終わった日」は、国によって日にちも呼び方も違うことを紹介するページに行き着いた。
特に目を引いたのは、ドイツ連邦共和国大使館・総領事館のWebページに掲載されている「ナチスからの解放と欧州における第二次世界大戦終戦75周年」におけるシュタインマイヤー大統領のスピーチを紹介するページだ。
戦時下に祖先が体験したことから目を背けず、国や世代を超えて、記憶を呼び起そう。目を背けたり、なかったことにしようとする権威的な思想や政治から、自らを解放しよう。という呼びかけが心に響いた。
戦争を二度と起こしてはならないと誓ったにもかかわらず、戦争は続いている。
残念ながら、わたしが住む国でも、戦争は「遠い昔の出来事」ではなく、いつでも「今まさに起ころうとしていること」であると常々感じている。それは「外」に脅威があるからではない。わたしには相互不信や分断、敵対心を煽ろうとする政治や報道こそ、脅威であると感じている。
何も浮かばない日のこと
どれだけ頭をひねっても、何も浮かばなかった。
今日1日、元気に生きてたはずなんだけどな。
特筆すべきことがないほど、普通に生きた日だった。
台風をどのように察知するかのこと
わたしの住む地域に、台風が近づいています。
天気予報では、刻一刻と変わる予報円を逐一お知らせしてくれるので、今どのあたりか、いつ、どのあたりを通ろうとしているのかというおおまかな情報を簡単に手に入れることができます。
でも、昔はどうやって台風の気配を感じていたのでしょうか。
古代オリエントに思いを馳せすぎて、自分がもし古代に生きていたら、台風の前兆をどこでどのように感じるだろうと考えるようになりました。
あからさまに雨風の強さが変わったり、猛烈な湿度を感じたりすれば分かるのでしょうが、今のわたしの感覚では到底気付けないような気がします。
だって今も、秋のように涼しい風が吹いていて、ありがたいなーと思う程度なんだもの。
同じ作者さんの本のこと
突然、古代オリエントに対する興味が湧き上がりました。
図書館で何冊か本を借りていますが、前8000年から前300年ほどの幅広い時の流れの中に登場するたくさんの国や地域、王たちが、戦争で常時入り乱れる様は、同じ部分を読み返していてもしばらく気が付かないような複雑さです。
でも、なんか、おもしろい。なんか、気になるのよね。
何点かの本を読むうちに、同じ研究者の方の本であることに気がつきました。借りておいてまだ読めていない本があるにもかかわらず、図書館にて全く異なる分野の書棚を眺めており、気になる本を手に取ったら、また同じ研究者さんが執筆されていてびっくりしました。
今の本も全部読めたら、この本も読んでみなきゃ。