想像のなかで、豆を煮るのこと

凡些亭の理念である「地域の人々が身近な自然を大切に活用・保全・育成しながら、ゆったりのんびり普段の暮らしを楽しむことのできる社会をつくること」の後半部分(ゆったりのんびり〜……のところ)を具体的に思い描くとき、「豆などをゆっくりことこと煮る様子」が浮かびます。きっと、映画「めがね」(荻上直子監督)のサクラさんが、鍋と静かにじっと向き合っていたあの時間が、自分のこころに残っているからでしょう。自分で煮るなら、甘さは控えめですっきりした後味の小豆にしたいな、という理想の味まで思い描くことができます。うん、いいなあ。

なんだかいいな、と思うのこと

なんだかいいな、と思うところで写真を撮ります。

なんだかいいな、というのは、それを感じた理由について、しっかり説明できないくらいのあやふやさを抱えています。

その、上手に言語化できない感覚を、自分ではとても気に入っています。

剣と魔法のファンタジーのこと

剣と魔法のファンタジーな小説やゲームを好んで育ちました。

血のつながりのないいろんな種族がパーティーを組んで、家族のようにわちゃわちゃしているお話が大好きで、フォーチュンクエスト(深澤美潮著・電撃文庫など)や、ソード・ワールドRPGリプレイ集のスチャラカ編・バブリーズ編(富士見ドラゴンブック)の文庫本は、なんども読み返してぼろぼろながらも、今でも大切にしています。

剣と魔法のファンタジーと言いながら、剣も魔法もあまり振りかざさず、人情や人間味が溢れている感じが好みです。

……ということを思い出しながらラクガキしました。セリフはご想像におまかせ。たまにはこういう日もいいじゃない。

我が家の梅干しのこと

今年の梅、出してみました。

例年よりちょっと早めですが、我が家の花梅さんがたくさんつけてくれた実たちがどうなったのか気になったらしく、がうきうきしながら出してくれました。

食べてみると、ちゃんと梅干し(干してないから梅漬けだけど……)になっていましたよ!

いつも梅たちとの違いは、より皮がやわらかく、ふにゃんとした食感だったことと、さわやかなピンク色が強かったことです。

ちゃんと特徴があって、愛しかったです。ありがとう、梅ちゃん。

レモンちゃんとクモさんたちのこと

我が家のレモンちゃんには、今、小さな小さなクモさんたちが住み着いています。たぶん近くでまた生まれたのでしょうね、ここ2、3日で急に見かけるようになりました。

あるクモさんは、虫に食われたりやぶれたりしてくるんと丸まってしまった葉をうまく利用して、家をつくっていました。

とても、住み良さそうで、いいなぁ。

クモさんたちが居てくれれば、レモンちゃんを困らせる虫たちを食べてくれるので、安心ですな。

窓から聞こえる音のこと

窓を開けていたら、「乗れたー!」という歓声が聞こえました。

どうやら、はじめて自転車に乗れた子と親、そのお友達たちの声のようです。

なんともすてきな瞬間の、おすそ分けをもらった気分。

どうもありがとうございました。

はかることのできないおいしさのこと

本日のランチは、「おいしい!」と目をみはるキャベツとツナの和風パスタでした。素材も値段もお手頃(むしろとてもお値打ち)で、「洗練された」とか「手間隙かかった」とか「おしゃれ」というような言葉が似合わないこのパスタのどこにそんなに惹かれたのかはわかりませんが、とにかく、一口ずつなくなっていくのが惜しくてたまりませんでした。

なんだかとってもホッとする、大事に作ってもらったという味で、元気になりました。

同じような料理でも、お店によっては、ここまで感動しない場合や、むしろがっかりすることもあるというのに。

はかることのできないおいしさは、確かにあると感じました。

こんなコンプレックスのこと

自分のなかにあるものを表現したいとき、わたしにとっては「絵を描く」ことが一番手っ取り早い手段です。でも、画力はいまいちなので、自分のなかにあるものをしっかり細部まで表現できるわけでもないのです。

また、こうした「絵を描く」ことは、わたしのこころのかなり柔らかい部分に直結しているので、わたしをわたしだと知っている人のうち「この人なら大丈夫」と思った人にしか晒す勇気はありません。

こんな大人になってもなお、こんなに好きなことですら、こんなコンプレックスを抱えて生きています。

なんてめんどうなのでしょう!

ちなみに、コンプレックスをwebで検索してみたら、「ふだんは意識下に抑圧されているものの、現実の行動に影響力をもつ、衝動・欲求・観念・記憶等の様々な心理的構成要素が無意識に複雑に絡み合って形成された観念の複合体をいう。」的なことが、Wikipediaさんに書いてありました。

なにそれ、初耳。わたしは、そんなすげーものを抱えていたのか。