「家畜」のこと

母が子どもの頃、家にはハルハナという馬がおりました。雪深い山里で、馬は大切な働き手なので、土間に厩(うまや)をつくり、家族同様大切にしていたといいます。

リトルワールドにある「山形県月山の家」も同じような造りで、玄関を入り、土間のあたたかい炊事場の近くに、馬のいる場所があります。母の生家がなくなってしまった今では、こんな感じかしらと想像するしかありません。

ヒトの暮らしを助けてくれる・ヒトの糧を生み出してくれる生きものを、大切に大切にしてきたのは、ほんのちょっぴり前のこと。もちろん今でも、大切に大切にしている人たちはいるでしょう。

でも、そうした生きものが身近にいないわたしにとって、「家畜」という言葉から想像する場面はひどく殺伐としています。「畜舎」の外で生きものたちがのんびりしている姿も、あまり見たことがありません。むしろ、そのにおいがきになって、身動きのとれない金属の檻のなかで、糞尿にまみれているんだろう、と漠然と考え、それ以上の関心は抱きませんでした。そうしたしわ寄せが、今、感染症で苦しむ家畜たちに現れているのだと、ようやく気づきました。

別の命とともに生きること、それをいただくこと、そうしたことをちゃんと知り、そうした暮らしを大切にしている人を応援し、さらに自分もそんな風に暮らすことを目指していきたいと思います。