言葉のちからのこと

Amanda Gormanさんの詩がとても素晴らしかったという記事が、ツイッターに流れてきた。

ちょうど落ち込む気分の中で昼食をもそもそ食べていたときだ。

明るい方へ引き寄せられるように、その記事を読み、書き起こされた詩を眺めた。

正直なところ、わたしは英語が読めない。謙遜ではないところがとても残念だ。でも、その詩がとても大事なような気がして、あとでちゃんと調べて読もう、と思った。

いろいろあって、散々な日だった。這々の体で家に帰り、ようやく落ち着いて、Amanda Gormanさんの詩の朗読の動画を視聴することができた。

やっぱり意味は分からない。分からないけれど、とても惹きつけられた。

何にも分からないのに、そこに未来があると感じた。

小瓶のお酒のこと

神棚の神様方へのお神酒や、神社の神様方への御礼にちょうどよい、小瓶のお酒を探しています。

お供えしたあとお下がりをいただきたいので、晩酌の習慣がなく、お酒にも強くないわたしにとって、大瓶は手に余るのです。

日本酒は好きなのですが、酒よりご飯を美味しくいただきたい気持ちが優っちゃうのよね。

可能性を感じる部分のこと

はっと目を奪われ、写真を撮りたいなと思う。わたしの場合は、この写真のような場所だ。

はっとして目を奪われるものはたくさんあるが、そのうち、写真まで撮ろうとと思い至る場所は、そう多くはない。

何に惹かれるのかは不明だが、なんとなく可能性を感じるのかもしれない。

苔むす樹皮や草ひしめき合う地面には、いくつもの世界が広がっているような気がする。

アジの一夜干しのこと

自宅でアジを背開きにして屋外に吊るし、一夜干しにして食べる、というのを初めてやってみました。

包丁で魚をおろしたことがないので、どこをどうすればいいのか分かりませんでしたが、見様見真似で何とかなるものだということが分かりました。

開いた魚は内臓を取り、塩をすり込み、洗濯バサミで吊るしてみました。

一夜干し、朝になって冷蔵庫に入れ、夜ご飯に焼いて食べました。

はじめての手作り干物は、ふっくらと焼き上がり、とてもよい塩梅で、大変美味しゅうございました。

次は、お天道様にもあててみよう。

スズメに似たのこと

スズメに似た、スズメじゃない鳥が、河原の斜面を熱心につついている。

そのスズメじゃない鳥を熱心に見つめるわたしのことは、あまり気にしていないらしい。

スマホを取り出し、スズメに似た鳥、と検索したが、目の前にいる鳥に似た鳥はなかなか出てこない。

あとで調べようと、かがみ込んで写真を撮ろうとしたら、さあーっと飛んで行ってしまった。

姿勢を低くした方が気にされないかと思ったが、スズメに似た鳥は、わたしの今までにない動きを怪しんだようだ。

その後、記憶と照らし合わせて辿り着いたのは、ホオジロという名前の鳥だった。

なるほど、かわいい。

言葉のちからのこと

言葉には、不思議な力がある。とはいえ、たいそうな話じゃござんせん。

例えば、「コーヒーのおとも」。

聞いただけで、ふわわわわ〜んと広がる良い感じのイメージがある。素焼きナッツや苦いチョコ、しょっぱいあられなど具体的な何かだけでなく、ゆったりその時間を楽しむ自分の姿を想像したり。

目の前に、それらがなくたって、なんだかゆたかになれちゃうわ。

捨てるのこと

「うまくいかない」とむしむしした気持ちを抱えていたら、捨てることを説く法話の動画にたどりつきました。

なんとなく、そのまま説法を聴き、ラクガキをしていたら、どんどん気持ちが楽になっていきました。

お坊さんに「ありがとう」と思うと同時に、思想も時間も場所も飛び越えて、聴きたい話のなかへぴょいと飛び込める時代ってすごいなと思いました。

あくびをするラクガキのこと

思う存分あくびをすると気持ちがよいよねのラクガキ。

曇りの日は、あくびがよくでるきがするなあ。晴れの日でも、雨の日でも、あくびしますけどね。

そういえば、朝、よく立ち寄る神社では、あくびばかりしている気がします。