土鍋で炊いた、あぶらげとしょうがのごはんです。
油揚げ、と書いた方が正しく理解できると分かっていても、あぶらげ、の可愛らしさには敵わない。
ごはんも、しかり。
土鍋で炊いた、あぶらげとしょうがのごはんです。
油揚げ、と書いた方が正しく理解できると分かっていても、あぶらげ、の可愛らしさには敵わない。
ごはんも、しかり。
ラクガキです。たまにはこういうのも描きたくなります。あたまのビリビリは、ちょっとよくわかりません。
ちなみに、わたしはほぼ感覚で生きているため、「言葉」を巧みに使って表現することがあまりありません。いつも、たいがい、擬音語で話しています。
それでもある程度意思疎通ができているのは、まわりのみなさんの理解力が高いおかげです。ありがたい。
扉の画像を変えました。
葉物は大抵、花が咲くとスジがかたくなっておいしくなくなるとのこと。
ありったけの力を使うのですね。
本日のラクガキ。
たぶんこのヒトも地元の特産品などをもってきて「取引しよう!」的なことを言っていると思う。うんうんとうなずいているのは、よほど良いものだと自信があるのだろう。
交換や取引は、いろんな種族との交流の第一歩なのではないか。
生きものに来ていただきたく畑づくり。
今日は片隅に睡蓮鉢を埋めて、水辺をつくりました。
丸石は、畑のなかからごろごろ出てきたものです。
あとは雨が降って水がたまるのを待つばかり。
わくわく。
体型についていろいろ気にしちゃうことも多いけど、これだけ長いこと自分とつきあっていると、もうどこを見ても愛着しかわきません。
ちなみに、わたしは、昔からどっしり体型です。
農園に行きたい気持ちが高まって、つい、いろんなヒトに農園がステキだという話をしてしまいます。
誰かにお話してみると、ピン!とアンテナを立ててどんどん聞いてくれるヒトと、そうでないヒトが、あからさまに分かります。
今、わたしが属している社会では、野の草に想いを馳せるヒトはどちらかといえば少ない方ですが、興味関心のあるヒトもたくさんいるのだと分かります。
なんだか楽しくなってきました。
今日の気分を絵にしたらどうなるだろう、とペンを手に持ったらこうなった。
確かに、総じて悪いことが起きたわけでもないのに、思ってもいないような言葉を不用意に使ってしまったことが気になって、あまり良い気分ではない。誰も気にしていなさそうだけど、そんなことを言った自分が気になる。
お天道様には、言い逃れができない。
名取市に行ったきっかけは、閖上地区の語り部さんのお話でした。宮城に行ったなら、ぜひ行かねばと思っていたのです。
訪れたのは、5年くらい前の冬でした。美田園駅を降りると、細かな雪がびゅうびゅうと降り積もっています。グーグルマップを頼りに閖上地区を目指して進んでいると、曇り空の下にただただ白く広い場所が現れました。そして、何台も何台も連なる大きな黒いダンプカーたち。白と黒の世界と、排気ガスのにおいのなかをひたすら歩き、ようやく閖上地区に着く頃にはすっかり疲れてしまって、とくに何かを見る前に、名取駅の方向へ引き換えしてしまったのです。
大きな道路沿いに歩くて行くうちに雪もおさまり、日差しが出てきました。ちょうどお寺の前を通りかかると、雲の切れ間からお堂に向かって太陽の光が差しており、それが空からの階段のように見えて、なんだか救われたような気持ちになったのを覚えています。
そして、だんだんと元気を取り戻したわたしの目に入ったのは、水に浮かぶセリたち。きれいだなー、すてきだなー、セリってこんな風に育てるんだーと通り過ぎました。そう、何も知らずに。
地元にもどってから、名取市は「せり」の名産地であり、「せり鍋」は根っこまで食べるめちゃくちゃうまい食べ物だということをテレビでようやく知ったのです。(遅い)とても後悔しましたとも。なぜ、わたしはせり鍋を食べて帰ってこなかったのかと。
これはもう一度行くしかありますまい。超うまい「せり鍋」を、本場で食べるために!
多賀城市を訪れたのは、震災から3年くらい後のこと。約束の時間よりかなり早く到着したので、街をぶらぶら歩きまわることにしました。
駅から海方向へ進む途中で、事前にチェックしていたおいしいと噂の焼き菓子のお店や、鶏のスープがうまいラーメン屋にも立ち寄り、とても満足。
大きな道路沿いをてくてく歩いて住宅地の方へ進み、末の松山を見物したあと、砂押川沿いに下流へ。さらに、川を渡り線路を超えて、少し高台にある市役所へ。
こうして、初めて来た場所をひたすら歩くと、なんとなく街の様子がつかめてくる気がして好きです。
去年は、松島に向かう途中の電車の中から見ただけですが、駅前のオシャレな図書館が完成していて、なんだかステキだと思いました。