君がその実を食べきれないなら、草や土の上にでも置いておきなさい。すぐに別のいきものが見つけて食べるだろう。君がその実を食べきったのなら、種を土の上にでも放っておきなさい。うまくいけば新たな芽が出るかもしれない。
たったひとつの実を通じ、君は命のつなぎ手になるだろう。
君がその実を食べきれないなら、草や土の上にでも置いておきなさい。すぐに別のいきものが見つけて食べるだろう。君がその実を食べきったのなら、種を土の上にでも放っておきなさい。うまくいけば新たな芽が出るかもしれない。
たったひとつの実を通じ、君は命のつなぎ手になるだろう。
セビトの南側はいくつかの島を有する大湖に面している。このうち最も小さく見える島は、大樹の根に巻き付いた浮き草や藻によりぷかぷかと水面を移動する植物の集合体である。大樹は千年以上前から存在すると言われ、ひび割れた樹皮は土のように柔らかく、これを苗床としてありとあらゆる植物が生えている。特にハーブやスパイス類が豊富なため、古くから多くの旅人が訪れ、種子を持ち帰るようになった。不思議なことに、この地で採取された種子はたった一粒でも、別の土地で植えると他の植物の呼び水となり、いつしか豊かな森になるという。そんな「動く森」の言い伝えを信じたヒトビトにより、植物の持ち去りが増え、また訪れるヒトの増加により踏みつけられた大樹が弱り始めたため、現在では、木道が整備され、島での種子や植物の採取は管理されている。
「世界地図の端から〜辺境の地セビト紀行〜(ブンジ・ゾ著)」
去年の今頃は何をしていたかしらと写真を辿ってみると、プリティなカタツムリさんに出会っていました。
雨上がりのお楽しみですな。
雷様がやってきた。
今まで、光るし音はすごいし落ちると命に関わるし、雷はただただ怖いだけだった。
しかし、雷という現象は空気中の窒素を地面におろすのだと改めて知ってびっくり。
地球の、「生きもの」を生み育むシステムがすごくて、こういうことを学ぶたびに震えます。
庭先で楽器を持ち寄り音楽を奏でよう!楽器がなければ、歌やダンス、手拍子・足拍子、なんでもオッケー。
人前で楽器を演奏するのをためらう人も「きらきら星」ならいけるんじゃない?ほら、簡単よ。ドドソソララソ〜。
なにかとご近所を気にしがちだけど、ご近所と一緒に合奏したら、むしろ百倍楽しいのではないかしら!
というご提案のラクガキです。わかりにくいと思いますが、リサイタル開催にあたり、我が家自慢のアート(家族写真やこどもの絵を含む)を縁側に飾っています。
やってみたい〜。
枝先からのぞく新芽が鮮やかな季節です。
よーく目を凝らして見ると、枝先ひとつひとつに精密かつ丁寧に折りたたまれた若葉がぎゅっと詰まっています。
これを寒い冬の間に仕込んでいたのね。
わたしは毎年こんなに丁寧に日々を生きているだろうか。
誰に知られていなくとも、誰に請われていなくとも、他のために祈るヒトの数知れず。
この世にたくさんいるヒトは、まあ大体同じような組成でできてるはずなのに、言うことやること皆バラバラで、まとまらないにもほどがある。
たとえ気候や風土、文化や歴史を共有しても、法律や宗教、戒律などに縛られたとしても、とてつもなく難解な問題にみんなで立ち向かわなければならないという状況でも、ヒトが完全に同調し、一枚岩になれた試しはない。
ヒトの未熟さにしょんぼりしたとき、ふと、思いついた。このモニョモニョした状態は、わたしの体表や腸内で、日々、繰り広げられている光景ではないかと。
多種多様な細菌たちは、自らの繁栄のために日々わたしの体表と体内の環境を整えてくれている。しかし、わたしが細菌たちの生活に害となるものを摂取したらどうなるか。
細菌たちはきっと、今この世に生きるヒトビトと同じように、あーだこーだと言い合って、それぞれが生き延びるために最前だと思う行動をとるに違いない。その結果、わたしが生存できるかどうかが決まるのだ。
ちなみに、わたしの肌も胃腸も最近とても主張が明確で、これまでフツーに摂取してきた胡乱なものを「こんなの食べたくないです。」ときっぱり拒否し、キリキリと我が身を痛めて教えてくれている。
どうも、ありがとうございます。
静かな雨音を聞きながら昼寝をすると、心地良いのか、なかなか起き上がれません。だからと言って、がっつり3時間も寝たことを、果たして昼寝と言えるのかどうかは置いておきます。
おーいと呼びかけるラクガキ。
こっちだよ、こっちにいるよ。