モモのいる世界のこと

否応無く「変われ」と言われ、今まさに帰路に立っている。

道は無数にあるだろうが、あちら側とそちら側にふたつの世界があり、どちらの世界でも、一見、ヒトが悠々自適に暮らしているように見える。

ひとつは、ヒトの仕事を別のモノにまかせた世界。有り余る膨大な時間を自らの美と健康と富と名声、ヒトの繁栄のために使うことができ、極めて清潔な空間で、信じられないほど長く生き続けるに違いない。ただ、いつか別のモノたちから「いらないもの」と見なされて、排除されるだろう。

ひとつは、ヒトの仕事をようやく思い出した世界。他の生きものと同じように、託された自然界での役割を思い出し、想像することの楽しさと手間暇かけて持続させる喜びを日々噛みしめることだろう。ただ、思う存分身体を使うので、寿命はほどよく縮み、長生きできるヒトは少ないだろう。

わたしは、モモがいる世界を選びたい。どうすればそちらの道に近づくことができるか、毎日毎日、考えている。

こんなふうに暮らしたいのこと

災害、感染症、気候変動、しょんぼりしていくヒトの心。

ヒトが生きづらいこの世の続きをどう描こうかと真剣に考えた結果、こうなりました。災害も、感染症も、気候変動も、しょんぼりする心も、一気に解決する名案だと思っています。(少なくともわたしにとっては)

こう見えても、屋根瓦とガラス窓で太陽光発電が可能。畑用水路での小水力発電も合わせて、最低限の電力をまかなっております。家の中には竃がわりの囲炉裏か薪ストーブを置きたいですね。

通信環境は整っていて、微小電力で動く機器により、オンラインでいろいろやっているという設定です。

完全自給自足はしんどいので、お近くの商店へお買い物にも行きたいし、たまには行商と称して旅もしたい。

そんな暮らしがいい。

河川敷にはたくさんの鳥のこと

河川敷。

倒木、低木、つる植物や笹などで、わしゃわしゃした薮のような場所にたくさんの鳥が集まっている。カラスは高い木の上から見下ろし、コゲラは朽木の中の虫を熱心にほじくり返していた。ウグイスは姿は見えねど美しい声。シジュウカラやらキジバトやらスズメやらは、何をしているのかよく見えないが、薮のあちらこちらでちょんちょん飛び回っている。あの茂みはキジも好んで潜みそうだ。

草が刈られた見晴らしの良い芝生にはヒバリのつがい。人が出入りする建物の入り口には巣を建造中のツバメのつがい。駐車場脇の街路樹にも、細い草や枝で編まれた多様な巣がいくつか。

多種多様な地形や環境にはそれぞれに適応した種が住むというのがよくわかる。

むだいにのこと

おかしいな、と思っていたことは、やっぱりおかしかったのだと、気付かされる日々だ。

不要不急の外出を控えると、今までフツーにできていたことができなくなる。でも今回の件で、別になくていいもの、むしろ無い方がいいものといっぱいあることに気付いた。

生きるためには必要だと思い込まされ、むやみやたらと肥大化してきた部分が露呈しているのでは、と感じている。

こんなときこそ農園のこと

こんなときこそ、生きものいっぱいの農園があって良かったと、心底感じています。

いわゆる自給自足という面では、わたしの知恵と技が未熟なため、「どんな状況でも食べものは何とかなる!」とはとても言えません。しかし、生きものいっぱいのこの農園にいるだけで、楽しい、すごい、うれしいなどの前向きな感情が溢れてきて、こんなに不安な中でも「この世は捨てたもんじゃない」と思うことができています。

どこもかしこも多種多様な生きものに溢れていて、様々な営みの繋がりを経て丁度良い加減の環境が生まれ、心底美味しい野菜が育っています。どの生きものにも、わたしの農園に来てくれてありがとう!と感謝せずにはいられません。

たくさんの細胞や腸内細菌の塊であるわたしも、この農園のように豊かであれば、わたしを元気に維持することへの情熱を持ち続けてくれるのではないかと期待しています。

土岐のオブジェは面白いのこと

随分昔に描いたラクガキ。

道の駅「土岐美濃焼街道どんぶり会館」の駐車場脇にあるカエルの都市のようなものすごいオブジェの影響を過分に受けたラクガキですね。覚えています。そのオブジェがカッコ良すぎて、店に入らずいつまでも眺めていたことも、覚えています。

ちなみに、土岐市の街のあちらこちらに設置されたオブジェのなかで、カエルの街のオブジェの次に印象的なのは「偏頭痛」という作品。その作品を見た当時のわたしは「偏頭痛」とは無縁の子供であり、作者のお名前も、どこにどのように設置されていたのかも忘れたのに、その作品を見て、タイトルを見たときの、あの妙な納得感は忘れません。現代アートが面白いと、初めて思った瞬間かもしれません。

むだいのこと

植物のように生きるにはどうしたらいいかを考えている。その場から即座に逃げることができない植物たちが危機に直面したときの術を。