自分の加害性と向き合うのこと

今日は、自分の加害性と向き合った。

湿気の多い、夏の雨上がり。こんな日にはあの街路樹に珍しいカタツムリがきているはず!浮き足立ち、足は速まる一方だったが、お目当の木の表面は乾いており、残念ながらカタツムリを見つけることはできなかった。期待していた分だけ落胆も大きい。ちぇっと歩き出したとたん、小石を踏み潰したような感触と音。まさか、と思った。振り返れば、踏み潰されて殻は砕け中身はぐちゃぐちゃになったカタツムリが、どう考えても、今、わたしが歩いた軌道上にいる。しかも、思い返せば「小石を踏み潰したような感触」は、それまで早足で歩いた道で最低2回程度は感じており、「今日はよく小石を踏むな」と考えた記憶もあった。わたしが、カタツムリを、踏み潰したのだ。

それに気づいたとき、わたしはショックを感じた。具体的には、あんなに出会うのを楽しみにしていたカタツムリを、無自覚に踏み殺してしまった自分自身に対するショックだ。カタツムリの立場からすると「出会うのを楽しみにしていた」と言われてもぞっとするだけだろう。カタツムリはわたしのことなど意識せず、ただ歩いていただけなのに踏み潰されたのだ。それなのに、踏み殺した加害側が自身を憂いてショックを受けたなどと発言するのは、相手を思いやる気持ちが微塵もない自分本位な言動である。

さらに、わたしは、カタツムリを何匹踏み殺してしまったのか正確に思い出すことができなかった。怖くなったこと、そして時間を言い訳に、踏み潰したような感触を感じた全ての現場に戻らなかったのだ。カタツムリの立場からすると、現場から逃走したあげく、稚拙な言い訳により罪を顧みようとしなかった加害側の態度は許せるものではなく、情状酌量の余地もない。

もちろん、自分のしでかしたことに気づいたと同時に「ごめん!」と謝ったが、言葉の軽さはカタツムリの命を軽んじているし、あまつさえ加害側は、いつも命を食べているし、アリだって花だって知らずに踏んでしまうだろうし、殺生せずに生きるのは無理だ、と開き直って自分をなぐさめており、反省の色もない。せめて、それ以降は地面を凝視し、慎重に慎重に歩みを進めたが、他の命を踏まないよう努力するのは当たり前のことなので、罪滅ぼしにもなんにもならない。

自分の加害性と向き合った今日のできごと。そもそも、珍しいカタツムリを見てやろうというような傲慢さと、生息域を荒らす行為への無頓着さもいかんです。カタツムリさん、本当にすみませんでした。今後はこのようなことを起こさないとかたく誓います。