「七曜」に連なるお話のこと

浜辺に打ち上げられた子を介抱したのは、頭に角持つ大男でした。

「ひッ、お、鬼じゃ!角がある!」

目覚めた子は角を一目見るなり悲鳴を上げましたが、男はしごく冷静に、

「角くらい牛でも鹿でも生えておる。できれば、龍の角くらい立派になっとればよかったが、300年たってもこれっぽっちよ。珍しくもなんともない。」

と返しました。


昨日の絵「七曜」に関連したお話。描き進めるうちに思い浮かんだことを徒然なるままに書きました。

「七曜」のこと

「七曜」を描きました。

月(竿持ち漁する月天)、火(筆持ち記す火猿)、水(琴持ち奏でる水虎)、木(旗持ち鼓舞する木霊)、金(稲持ち実らす金狐)、土(盆持ち育てる土鬼)、日(具持ち平らげる日人)。

自然とその力の良し悪しを心得る多種多様な存在とのつながりで、ようやく成り立つヒトの世のことなどを考えながら描きました。

千差万別で多種多様。カラフルな命は常に動き、変わり続けて、其の場にとどまることはない。そんなこたーとっくの昔に先人が悟ってるってのに、今更きゅうくつな枠に閉じ込めようとする輩の言いなりになんかなるもんかい。という気概も、思いがけずこもりました。

長く使うもののこと

なるべくプラスチックに頼らない暮らしをと、意識して身の回りのものを買い替えてきました。

衣類は綿や毛、まくらはそばがら、櫛やブラシは木と毛、お弁当箱は木、しゃもじやスプーンは木や竹など、使い始めると触り心地も使い心地も抜群なので、もうプラスチックには戻れなくなります。

また、革の鞄のプレインさんがお手入れや自分で補修することの面白さを教えてくれたので、他の道具たちも、上手に手入れしてなるべく末永くお付き合いしていきたいと思います。

本日は、木のタライが我が家の仲間入りしました。ちらし寿司やたらいうどん、そうめんなどで活躍する予定です。大事にたくさん使おうと思います。

土は天然のシードバンクのこと

土の中は天然のシードバンクと言われるほど、多様な種の宝庫なのだって。

種たちは、それぞれに最適な条件が整うまで眠っていて、時がきたら起きるのだって。

最適な条件も多様で、季節による温度や湿度の変化だけでなく、山火事などの苛烈な環境がトリガーになる種もあるらしい。

種の持つ生きる力は広大で細密で凄まじい。そして自由だ。

カラスとわたしのこと、その3

家の近くのゴミ置場をあさるカラスたちをじっと見つめたまま、「あなたがたカラスは、人間どものゴミをあさるような器ではない。もっと気高くあれ。」と声に出して、真剣にお伝えしたことがあります。

過去にカラスと接した経験(子育て時期のカラスにうしろからふわっとアタックされたりお弁当中にカラスに囲まれて冷や汗を書いたり)から、カラスたちは賢く意思疎通できる存在であると感じており、蔑んだような言い方をしても逆効果だと思ったのです。でも、カラスはヒトからされた仕打ちを覚えていて仕返しをするという噂もあり、内心ではどきどきしておりました。

数日後、出かけようと外へ出ると、目の前の道に柿の皮が落ちていました。

柿の皮といってもヒトがナイフでむいたようなものではなく、よく熟した柿の美味しい部分をきれーいに食べつくし、これ以上食べるところはありませんというような薄っぺらいものが、ぺたりと道路に落ちていたのです。

見上げると、カラスたちが電線に!

わたしは衝撃を受けました。カラスたちは「普段は変なもん食べとらんのやで」「こんなにうまいもんをこんなに上手に食べとるで」と教えてくれたのだと思ったのです。やっぱりカラスってすごい!わたしは興奮し、電線にとまるカラスたちに向かって、「教えてくれてありがとうー!また教えてねー!」と大声でぶんぶん手を振りました。

冷静に考えれば、挙動不審なわたしの言動に対し「やだー、あいつこわー」という気持ちで退散しただけかもしれませんが、ともかくそれからカラスがゴミ置場をあらすことはなくなりました。(2、3年たった今では、ゴミが外に出てると気になっちゃって寄って来る子はいるけどね。)

カラスはやっぱりカッコイイ。仲良くなりたいです。

迷ったときはのこと

迷ったときは、頭から胸にもやもやをおろして、楽しい方を選ぶんだったよね。

宇宙兄弟でシャロンおばちゃんが言っていたっけ。

楽しい方は、もう決まってる。もう随分前から、見えていたもの。

テントウムシの幼虫、頭の上から落ちてくるのこと

もしょもしょ動く気配のあと、頭からテントウムシの幼虫が落ちてきました。

確かに、通り沿いにテントウムシの幼虫がたくさんいる場所があり、密やかに愛でながら歩いてきたところでした。わたしの頭は日頃からもしゃもしゃなので、木の上から落ちた子を気付かずふんわりキャッチしたのでしょう。

頭の上から落ちてきたテントウムシの幼虫は、わたしのカバンの上を元気に歩き回っています。しかし、そこは電車の中でした。植物もアブラムシもないこの空間には、この子が食べられそうなものは何一つありません。今、この子を見失ったら、大変なことになります。

これも何かのご縁と家に連れ帰ることも考えましたが、あっちへこっちへ歩き続けるこの子を、つぶさず見失わず安全に運ぶ自信はありません。この子の生活空間となれそうな緑が近くにある駅で途中下車することにしました。

手に手にかばんに定期入れにと、ひたすら歩く子を順々に動かしながら、無事植え込みまで移動してもらい、事故もなくよかったと心底思いました。

どうせならわたしのもしゃもしゃの頭の上で、もうしばらくのんびりしていてくれれば、一緒に家にきてもらうことができたのにな。

「よいこの国」のこと

「よいこの国」

その国で生まれた子は、みんな、よいこでなければいけません。

なぜならその国はとても小さかったので、わるいこがひとりでもまざっていたら、たちまちわるい国になってしまうからだと、おとなたちは言いました。

おとなたちは、よいこのための法律をつくりました。

「前文 よい国をつくるには、みんながよいこでなければならない。 よいことはつぎのようなこのことをいう。

一、よいこは、よいこであることを誇りに思うこと。

二、よいこは、生まれた国を愛すること。

三、よいこは、おとなを尊敬すること。

四、よいこは、おとなの言うことをよく聞くこと。

五、よいこは、口ごたえをしないこと。・・・」

よいこのための法律は、毎日新しいきまりがふやされるので、全ての文字をはじめからさいごまで読むにはとても時間がかかりました。

よいこには、食べものも着るものも住むところもあたえられました。学校でたくさんのことを学んだあとは、たくさんお金を稼ぐ仕事をすることもできました。国を豊かにしたよいこは表彰され、そのよいこを育てたおとなには高い位があたえられました。

みんなは、がんばってよいこになりました。

わるいこは、わるいこを育てたおとなと一緒に牢屋にいれられ、食べものも着るものもあたえられませんでした。それはよいこにならず、また、よいこを育てなかったいましめなので、しかたのないことだと、おとなたちは言いました。

昔、牢屋があふれるほどのわるいこがたくさん見つかったことがありました。まさにその国が、わるい国になってしまうという危機でした。おとなたちは急いで、よいこのための法律に「よいこは、わるいこを見つけて、おとなに知らせること。」という決まりをふやしました。国が豊かになるようにがんばってもなかなかうまくいかないとき、よいこたちは、わるいこさがしをがんばりました。わるいこをわるいこだという証拠が見つからないときも、おとなはすぐによいこの言うことを信じてくれました。よい国をつくるため、緊急時にてまをはぶくのは、しかたのないことだと、おとなたちは言いました。

 

さて、よいこの国には、ひとりの王さまと、その孫がいました。おとなたちから、とてもすばらしいとほめられている王さまは、たったひとりで国のすべてを決めてきましたが、そろそろ国を孫にゆずろうと考えていました。

王さまは、孫に国のひみつを話しました。

「この国はとても豊かですばらしいが、おろかなよいこたちには、この国の本当のしあわせはわからない。おろかなよいこのなかには、お前に意見を言うものもいるだろうが、聞く必要はない。もっともらしく言葉をならべても、おろかなよいこたちは何も知らず、何も見えていないのだ。長年かけて、そうなるようにしてきたのだから。おろかものにまどわされたらこの国は、たちどころにわるい国になってしまう。この国をさらに強くたくましく豊かにするのはお前しかいない。わたしが生きている間にできなかったことを、お前がなしとげておくれ。大変な仕事だが、おろかなよいこたちはみんな、お前を愛し、感謝するだろう。」

孫は、王さまの言うことをなんでもよく聞くとてもよいこだったので、誇らしげに大きくうなづきました。王さまも安心してまかせることができました。

(続くかもしれない)

ナミテントウと勝手なヒトのこと

ナミテントウに会ったのは家の中でした。廊下の壁の上のほうに、黒字に赤い点々がふたつついたテントウムシがひっついていたのです。どうにかしてテントウムシを我が家に連れてきたいと悩んでいた頃でしたが、まさか家の中で出会うとは思わずとても驚きました。

梅ちゃんの鉢まで丁重に運び、アブラムシを思う存分食べてほしいとお願いすると、ナミテントウは逃げることなく葉の裏でじっとしていました。それから毎日ナミテントウの姿を確認しましたが、まだ寒い時期だったのであまり元気がないように見えました。

心配しているうちに、ナミテントウはある日突然いなくなってしまいました。再び勢力を取り戻したアブラムシとわたしのいたちごっこが始まりましたが、ナミテントウが元気になって飛んで行ったのならいいと思いました。

それからアリの存在に気づき、水受けを準備したのです。残念ながら水受けにたっぷりと水をいれても、次の日には甲斐甲斐しくアブラムシの世話を焼くアリたちの姿を見かけました。なかなかうまくいかないものだとしょんぼりした次の日、同じ枝がつるりときれいになっていて驚きました。アブラムシ牧場の痕跡がありません。

理由は、今日分かりました。小さな小さなナミテントウの幼虫を発見したのです。たぶん、あのナミテントウの子供達が梅ちゃんの上で生まれたのでしょう。子供達はせっせとアブラムシを食べ、梅ちゃんは今まで以上につるりときれいな枝になったのでした。なんとういうスペクタクル!

こうなると、ナミテントウの子供がおなかをすかせていないかと心配になります。またアブラムシが増えないかなと考えるわたしは、とても勝手なヒトです。