兵器のない世に暮らすための途方も無い「愛」の話のこと

8月6日と、8月9日。毎年大事に大事に思う日だ。

2018年8月6日 想像の力のこと

2018年8月9日 思考停止の怖さのこと

2019年8月6日 八月六日のこと

2019年8月9日 自分が変わる力のこと

2020年8月6日 わたしが生きたい世のこと

何度書き連ねても、何度考えても変わらない。この世に核兵器は必要ないから、今あるものは全部なくして、これから二度と作らなければいい。どうしてこんな簡単なこともわかんないんだろうと、子供のころからずっと思っていた。

でも、他の命をないがしろにするヒトがいる限り、武器も兵器も毒薬も生産され、生活の道具さえ他の命をいたずらに奪うものとして使われるのだろう。

つまり、核兵器をなくすためには、まず、他の命をないがしろにできると考えるヒトビトを、なんとかするしかない。

それはたぶん、「自分は最前線に行くことはないし、誰よりも安全な場所で守られるだろう。」と思っている一部のお偉いさんや、「自分の言うことをきかないものは必要ない。」と他者の存在を認めないやからだけの話ではない。そんじょそこらの、わたしたちも同じことだ。

「他の命をないがしろにできると考えるヒトビトをなんとかする方法」をずっとずっと考えてきて、最近、ようやく見えてきたキーワード。恥ずかしさを忘れて言うと、それはたぶん「愛」だと思う。しかも、枯れた大勢の心に染み渡るほどの無限の愛よ。

身近な人には、尊敬とあふれるほどの感謝の言葉を贈れるけれど、見知らぬ人にはどうすればいいんだろう。たぶん、歌が好きなヒトは歌を、言葉を大切にする人は言葉を媒体にして愛を届けるんだろう。

じゃあ「わたし」は「愛」を、どうすれば届けられるだろうか。