ジョウビタキさんも聞いてくださっているのこと

公園で美しいジョウビタキさんにお会いしました。

ほの明るい色合いと、ふっくらした丸いシルエット、凛とした立ち姿にメロメロになり、わーわーきゃーきゃーと褒め称える母とわたし。すると、ジョウビタキさんも、付かず離れずの距離のまま、じっとこちらの方を伺ってくれている様子なのです。

嬉しくなって「美しいお姿を見せてくださって、ありがとうございます」と頭を下げると、さっと近くの木の枝に止まり、違う角度からのお姿も見せてくださいました。わ〜!すごい!

やっぱり、ジョウビタキさんも聞いてくださってるのだと感じました。

「なんてことない毎日」のラクガキのこと

戯れに描いたラクガキから「カレンダーガール」という歌を思い出しました。

TVアニメの「アイカツ!」にどハマりしていた頃、特に歌が大好きで、CDを買い漁って何度も何度も聴いていました。

エンディングテーマにもなった「カレンダーガール」の「何てコトない毎日が かけがえないの オトナはそう言うけれど いまいちピンとこないよ」という歌詞に、当時からオトナだったわたしは、うんうん頷いていたものです。

あれから数年経ち、あのときとは違った意味で、「なんてことない毎日」のかけがえのなさを思い返す日々が続いています。

手を合わせる幸せのこと

神社やお寺のいろんなところで手を合わせごあいさつ申し上げるのが好きです。

神社の鳥居や寺の門をくぐるときに一礼したり、獅子さんやお墓ではない場所にいらっしゃるお地蔵様に手を合わせたり、気になる植物や小さな生きものさんたちに声をかけたり。

自分が「いいな」と思う気楽なお作法ですが、気持ちがおだやかになる小さな儀式のように感じています。

毛糸のパンツを編み上げた日のこと

昨年の今頃、わたしは毛糸のパンツを手編みしようと息巻いていました

しかし、20段ほど編み進めた頃、季節はすっかり春となり、毛糸のパンツに対する熱い気持ちはすっかり冷めてしまいました。

困ったのは、今年の冬のわたし。お腹を保護するものがありません。

慌てて去年の編みかけを引っ張り出したものの、あまりのひどさに全てほどき、編み方の本とにらめっこしながら、ようやく毛糸のパンツを編み上げることができました。その間、何度失敗し、やり直したことか!

でもそのおかげで、編み始めの目の作り方も、ほどいた編み目を棒に戻すことも、怖がらずにできるようになりました。なにごともえいや!が大事ね〜。

今、わたしのお腹はあったかです。しあわせだ〜。

メガネを外して見える世界のこと

朝起きると、雪が降り積もっていました。

雪景色を楽しみたいのに、マスクをつけて歩くとすぐにメガネが曇ってしまいます。でもド近眼のわたしが足元に気をつけるためには、メガネが欠かせません。

真っ白な視界に難儀していると、となりを歩く母から「メガネを外してみたら?」との助言が。このままではどのみち前も見えないので、メガネを拭くため外してみると、目の前には朝日に輝く素晴らしい雪景色が広がっていました。

メガネに固執し、見えるものも見えなくなっていたのですね。

その後は、裸眼で見える美しい世界を楽しみました。

気根のこと

扉の画像を変更しました。ラクウショウという大きな木の気根です。

手元の辞典によれば、気根とは「地上の茎や葉、地中の根から出た空気中にある根」とのこと。湿った土地でも生育することができるラクウショウは、よくまわりに気根を出している印象があります。これは比較的平ぺったいものです。

硬い木の根の一部ですが、雲や水が流れる模様のようにも見えてくる不思議。

モズに観察されるのこと

農園でじっと野の草や野菜たちを観察していました。

ダイコンを抜くため踏ん張ろうとして、ふと顔を上げると、結構近くにモズが来ていて驚きました。よく見かけるモズですが、いつもはもっと離れたところにいるのに。しかも、わたしの方を明らかに観察しているようなのです。

モズに観察される日がくるなんて!好意を持った相手から意識されているのがわかった時のようなときめきを感じました。

その後も農作業を続けている間、近くにいてくれたモズさん。わたしがその場を離れると、ダイコンを掘り出した畝を様々な角度からじっと見つめています。

なるほど、ヒトが農作業をしたあとには、掘り返されて出てきた虫やらなんやらがいることをちゃ〜んとご存知なのですね。

わたしも自然の一部になったと感じ、安心感がどっと訪れました。