髪の毛のこと

素っぴん生活をおくるようになって、髪の毛のお手入れ方法も変えました。

くしで梳かして、オリブ油をさっとつけるだけ。とてもシンプルですが、ちゃんとほどよくまとまってくれて、時間が経っても見苦しくて仕方ないということにはなりません。変なにおいもしないし、ベタベタすることもありません。

身支度がすごく楽で、助かっています。楽なのが一番。

ほつれをようやく縫うのこと

愛用かばんのプレインさん補修物語のつづきです。

金具以外にも、補修が必要な部分はたくさんありまして、皮が擦り切れて、やぶれて、びろびろになってしまっていた部分を、本日ようやく縫い止めました。

わたしのとても残念なところは、度胸だけがやたらとあるのに繊細さにかけるところと、服飾方面のセンスが皆無だということです。

今回も、なぜか明るい黄色の目立つ糸を使い、「できる!」という気持ちだけで押し進めた結果、補修した部分だけ、がたがたの縫い目がやたらと目立つようになってしまいました。

補修物語ではなく、補修(?)物語という感じ。なんかもう、いろいろごめん。

竹の素材の美しさのこと

竹というものに、とても惹かれています。

あそこにもここにも生えているのに、遠くから眺めるばかりのあこがれの存在でしたが、このたび、ひごづくりから体験できる竹細工の講座に参加することができました!うれしい。

先生方や一緒に参加した仲間のみなさんのおかげで、なんとか作品も仕上がりました。苦労したぶんだけよろこびもひとしお。不器用がすごくても、なんとかなった!(涙)よかったです。

日光をうけてきらめく網目が美しくて、何回もかざして見てしまいました。

水だけでしなやかに曲がるのもとても魅力的。やっぱり竹は素敵です。

日替わり宇宙のこと

 

日替わり宇宙」という絵です。

基本的に、いつでもぼんやりしていますが、さらに驚くほど迂闊になることがあります。どんなに注意しようと思っても、結局たくさんの失敗をやらかして、いろいろな人にご迷惑をおかけしております。

迂闊な自分のせいで、本日も最大限にとほほでしたが、今日がだめでも、明日があるさ、です。

お天道様が昇ってくれば、気分も変わる。受けた恩は必ず次へ返す。そんな日本人気質を都合よく振りかざし、図太く生きようと思います。

中性のこと

「男と女、どっちがいい?」

人生で2度、このテーマで討論をしたことがあります。

1度目は、小学生の頃でした。

わたしは負けん気の強い子だったため、「子どもを産むのは苦しいから、男のほうがいい」と言った男子に対し、「苦しんだぶん、子どもを産んだ喜びも大きいから、女のほうがいい」的な発言をして、ドヤ顔をしたのを覚えています。それは、心から自分の属する性が素晴らしいと思ったのではなく、ただただ相手より優位に立ちたいと思ったがゆえの発言でした。

2度目は、高校生の頃でした。

人が決めた枠に押し込められるのが許せないお年頃で、テーマ自体がナンセンスだと思っていたわたしは、先生に当てられて「男らしいとか女らしいとか、考えること自体意味がない」と発言しました。「じゃあ、どうするんだ」と問われ、しぶしぶ「中性がいい」と答えると、みんなが笑ったのを覚えています。自分が属する性をやめたいと思っているわけではないのですが、中性でありたいという気持ちはウケ狙いではなく本心だったので、笑われたことに内心驚きました。もう少し共感してもらえると思ったからです。

今のわたしが、同じテーマで討論をするなら、なんと答えるでしょうか。

性別じゃなくて「人間」としての自分を見てほしいと思う気持ちは、高校生の頃よりもずっと強くなっています。さらにこれは、性別だけの話ではありません。国籍も年齢も、職業や見た目もそう。むしろ「人間」という枠を広げて「生きもの」として見てもらいたいときもあります。

わたし自身にはどうにもできない出自や属性を見るのではなく、もっと自由に、公平な目で、わたしがこれから何をするのか、どう生きるのかを見てほしいのです。

素っぴん生活のこと

毎日素っぴんで過ごすようになって、1年半ほど経ちました。

きっかけは肌荒れ。もともと化粧にはあまり興味がありませんでしたが、ノーメイクどころか、化粧水や乳液、日焼け止めクリームすら塗らない生活に踏み出すには、いろいろと葛藤がありました。

だって、一応、わたしの性別は「大人になったら化粧をするのが身だしなみ」と社会的に思われている方だったので。「素っぴんで都会に出て来てオフィスで働くなんて正気の沙汰じゃない」とさえ思う方もいるはず。わたしもね、できることならもう都会なんかに行きたくない、仙人になりたいと、ずっと思っていましたとも。

でも、おかげさまで、自分の生活も、ものの価値観も、いろいろ見つめ直すようになりました。その延長に、今、生きています。

そういえば、わたしが影響を受けた「ナリワイをつくる」や「発酵文化人類学」の著者たちも、「肌荒れ」を機に別の道を歩み始めているのでした。

わたしの人生にも、チャンスきてる・・・!

ひのきの箸置きのこと

クラフトナイフで竹や木を削っていろいろ作る練習をしています。

そのへんに生えている竹や、間伐のため切られた木などを使えたらなと思いつつ、今はホームセンターで買ったひのきのぼうをちまちま使っています。

で、これは、箸置きをつくろうとしているところ。無心になれてよい。

日々の暮らしを起源とすること

東日本大震災について、わたしがいくら言葉を尽くしても意味がないと思うのは、あきらめの気持ちからではありません。

それは、今この場でわたしが言葉を尽くして書き綴るより、今までとこれから、わたしがどう行動するか、どう生きていくかで示すことだと思うからです。

自分と家族のいのちを守ること、できるかぎり地域の人々の助けとなること、そして、困っている人を直接的または間接的な方法で助けること、これが、わたしが個人的にできるせいいっぱいのことでしょう。

誤解や偏見、意図的な誘導などに惑わされることなく、自ら事実を見極め、正しいと信じたことに向かって行動するしかありません。それは、大きな災害が起きたときだけのことではなく、例えば、知らない人に親切にするとか、誠実で応援したくなる人たちがつくった商品を選んで買うとか、そうした日々の暮らしのささいなことから始まると信じています。