きらいを考える、その1「写真」のこと

わたしは、自分の姿を写真に撮られるのがきらい。

なぜなら、自分の姿を見るのがいやだから。

なぜなら、胴長短足のどっしり体型で、化粧もせず、服のセンスもイマイチな、みっともない自分を見たくないから。

なぜなら。

胴長短足なのは、植物などを消化するため腸を長くする必要があったから。昔から穀物、野菜、魚など、バランスよく食べるために、ご先祖様から受け継いだ立派な体型なのだ。

どっしり体型なのは、運動は苦手だけど、ひたすら歩くことや作業で体を動かすのは好きで、力仕事も厭わずやってきたから。実は、痩せる必要性をあまり感じていないのだ。

すっぴんで化粧もしないのは、自身にも、まわりの生きものにも無用な負担をかけたくないから。むしろ自然な姿で生きる今のわたしを、とてもかっこいいと思っているのだ。

服のセンスがイマイチなのは、巷にあふれる服にいまいち関心がもてないから。本当は、着心地よく、動きやすく、気持ちが晴れやかになる元気な色の服を求めているのだ。

つまり、わたしは、自己肯定感が非常に高く、わたしのことが大好きで、鏡に映る自分のことを、面白チャーミングな生きものだと思っているのだ。

それなら、どうして写真に写るわたしのことを「みっともない」と思うのだろう。

それは、他のヒトに言われた悪口を根に持っているから。幼い頃、多感な頃、大人になってから、わたしのことをよく知りもしないヒトが、ごく浅い価値観で短慮に口にした言葉のせいだ。

そんなことを、いつまでも気にして、わたしがわたしをちくちくといじめ続けている。

だから、写真に撮られるのがいやなのだ。

……なんだ。そんなつまらない理由だったの。

それなら、わたし、もっと楽しく、散々面白く、とびきりチャーミングな笑顔で写真に撮られてやる。

だから。

これからは、写真に映ることを思いっきり楽しもうと思う。