稲荷山での不思議な話のこと

ざわざわと、何者かが後からついてくる気配がする。しかし、振り返るとそこには何もない…という経験をしたことがある。

2年前の秋、伏見稲荷大社の稲荷山に初めて登ったときのことだ。

山頂付近のわき道がどうにも気になり行ってみると、山をひたすら降りていくような先の見えない下り階段があった。降りるだけでもしんどそうで、進もうか戻ろうか悩んでいると、先の階段を登ってくるヒトがいる。髪の長い女のヒトだ。すれ違ったとき息を切らすようなそぶりもなかったので、そんなに長い道のりじゃないのかしらと思い、わたしも気楽に降りることにした。

だが、しばらく降りてもおわりが見えない。そのうち、先程すれ違ったヒトがこんなに長い階段をわざわざ登ったということは、わたしも同じように再び登らなければいけないということにようやく思いあたった。休憩がてら、やっぱり元の道に戻ろうと立ち止まると、また下から登ってくるヒトがいる。今度は外国からの旅行客のようだ。親子連れで、戯れあいながら陽気に登ってくる。子どもがぴょんぴょんと平気で登れるのなら、わたしも平気だろうと再び歩き出した。

ただ、狭い山道なので、すれ違うとき道の脇にずれて待っていたわたしを、家族の誰も目にとめなかったのが気になった。注目されたかったのではないが、あまりに自然なスルーだったので、自分の存在が希薄になっているのかしらと心配になったのだ。

道の先に何があるか知らずに進むというのは結構不安だ。ましてや、「なんとなく気になったから」というあやふやな動機だけでは、このまま進んで大丈夫かと弱気にもなる。かろうじて足は進むものの、今からでも帰ろうかしらと考えていると、後ろでざわざわと、風がさざめくような、誰かの足音のような音がした。「道を譲らなきゃ。」と思い先程と同じく道の脇によって振り返ったが、誰もいない。気のせいかと進めば、またざわざわとついてくる。しかも、なんだかたくさんの気配が「はよ先へ進め」と言ってくれているような気がして、それからは不安になることなく、ずんずん元気に歩くことができた。

不思議で興味深い体験だった。