ラクガキは無意識の産物のこと

ラクガキは無意識の産物に近いと思う。

直近の経験や感情に振り回される場合もあるが、それとは全く無関係に、書いてる本人も「え?なんで、今これ?」みたいな絵になることがある。

本日が、まさにそれ。子どものころに流行ったキャラクター風で、あればあるほどいいという感じのごてごての装飾と、構造のわからないだぼっとした服をきている。こういうの、子どもの頃に散々描いた。

でも、わたしはさっきまで、レンタルしてきた映画「ドリーム」を観て、キャサリンたちに勇気付けられ、その格好よさにうるうるしながらも、気持ちはスカッと晴れやかに感動していたところだった。めちゃくちゃいい話やった!わたしもがんばろう、とか思っていたところだったのだ。

で、ほんとになんで、今これ描いた?

本人も戸惑っている。

一方的にドラマチックな風景のこと

黄昏時の空が、まるで映画のようでした。

真っ黒い雲が渦巻く向こう側に向けて、沈んだ夕日から放たれる黄色い光線と、それを受けてリアルに浮かび上がる家や道。周り中が昼間よりもずっと暗いのに、風景の一部がくっきり見える奇妙さ。それなのに、影になった場所は真っ暗で、目を凝らしたらなんかいるんじゃないかと、無闇にびくびくしちゃう感じ。

映画なら、これからなんぞやよくないことが起こるんやろうな〜という場面ですな。

そんな風景のなかで繰り広げられるのは、自転車に乗って家路を急ぐヒト、畑仕事に勤しむヒト、車を洗うヒト、犬の散歩をするヒトなど、平凡な日常の一コマだったりするのですが、それもなんだかちょっと怖く見えるような……。

一方的にドラマチックでした。

黒髪塗りつぶしの裏側のこと

筆ペンで下書きもせずに絵を描き始めると、あっという間に間違えることも多々ありますが、このまま書き損じにしてもしょんぼりなので、なんとかごまかして描き上げたのがこのラクガキです。黒髪塗りつぶしの包容力はすごい。

手帳のなかのヒトを妄想するのこと

手帳のなかの物語。セビトという街に住むヒトの妄想、その1。

街の片隅にある古びた薬屋には、さびれた店内にはそぐわない闊達な雰囲気のねえさんがいて、自家栽培の植物や砂漠で仕入れた怪しげな乾物などを組み合わせた薬を調合してくれます。

見た目どおり、腹の底から「がっはっは」と大笑いするタイプですが、薬を扱う手先はとても繊細で、素材ひとかけらも無駄にしません。薬そのものよりも、数々の効力を生み出す自然のちからに魅力を感じており、素材を知り、組み合せる面白さを追求したい学者肌なところがあります。

また、薬を薬として服用することを嫌うところがあり、調合薬そのものを渡すのでなく、飲み物や調味料や、お菓子など、日常的に飲食できる形で提供しています。

……とね、昔からぼんやりとこういうことばっか考えてんス。はい。

世界を自由に夢想する楽しさのこと

手帳にいろんな物語をしたためる癖のある方ならお分かりかと思いますが、いろんなキャラクターや世界観を考えるのって、面白いよね。

わたしも昔からひとりでいろいろ妄想したものです。

自分設定といいつつ、過去に大好きだったゲームや小説の影響をもろに受けているし、結局ヒト型の生き物があれこれする世界観になるし、平凡に生きているから突拍子も無いことは考えられないので、オリジナリティなんかかけらもないのですが。

でも、どうせなら、これからはこんな世界で生きたいという場所を考えて、そこに暮らす生き物たちを夢想してみたいのです。

自分が楽しければ、それでいいじゃない。

時を超えたギャグのこと

今日も今日とてラクガキです。

もしも、人類が滅亡したあとに偶然このラクガキが発掘されてしまったら、と妄想してみました。

当時の生き物が何を思ってこの図柄を残したのか、そもそもこれは当時の生き物を表したものなのか、いやこれはあくまで抽象化したものにすぎないとか、知的レベルが低い彼らは自身をこの程度にしか表現できなかったのだとか、訳知り顔であーだこーだと真剣に議論されちゃったりして。

まあ、そんなおもしろい事態にはならないと思いますが、後世の生き物を混乱させるのもなんなので、念のため「ただのラクガキです。意味はありません。」と隅に書いておいたとしても、たぶん、他の図柄や文字と比較したりして一生懸命解読しちゃうやつもでてくるだろうな。

で、解読した結果が、「意味はありません。」

ギャグですな!

ゴーヤを干してみるのこと

ゴーヤが好きなので、夏の間たっぷり食べられるように、毎年畑で育てています。今年のゴーヤは苦味が少なくとても美味しくて、どんどんもりもりぱくぱく食べていました。

ゴーヤを始め、夏野菜を育てたことのある方ならわかると思いますが、夏の間、ものすごく実ができます。「ちょうどこのくらいのペースで食べられるといいな」という範疇を超えて、どんっどんできます。ゴーヤが大好きで毎日ばくばく食べていてもなお家族では食べきれないほどできるので、ご近所さんに何度も配ることになり、そのうち本当にゴーヤが好きなおうち以外からは断られるほどできます。

夏が終わり、少し涼しくなると、不思議なことに、あんなに大好きだったゴーヤを求める気持ちが薄れてきます。体が求める栄養的なものが変わってくるのかもしれません。そして、そんなわたしの心変わりに関わりなく、ゴーヤはがんばって実をつけ続けてくれます。

そんなゴーヤが愛しい。でもこの時期は、すでに大量のゴーヤを持て余し、どう料理していいかもわからなくなっているのです。

このままではいけない、と今年は、乾燥ゴーヤをつくってみることにしました。

タネつきのまま2mmほど輪切りにし、ザルに並べて天日干し。

ネットで調べると、「半日干し」「一日干し」「2〜3日干す」など出てきますが、いくらなんでも、たった一日じゃ干す期間が少ないでしょう、と思っていました。

ところが。

1日たったら、この状態ですよ!カラッカラやん。

そのままおやつに食べられるとのことで、一枚食べてみると、わずかに残った水分で若干しなっとしていましたが、見た目どおり、ちゃんと固く乾燥していました。長期保存するなら、あともう1日以上は天日干しした方がよいかも。

それにしても、たった1日で、ここまで縮むとは。ゴーヤって、ほとんど水分なんですねえ。

NHK「ふつうってなんだろう?」のこと

https://youtu.be/GdxV0t-hjik

YouTubeのNHKチャンネルで、姫田真武さんの絵のサムネイルを見つけて「お!」となりました。動画を見てみると、柳家花緑さんのおはなしではありませんか。

柳家花緑さんの落語も、姫田真武さんの作品も、とても好きなわたし。動画のなかみもすとんとわかりやすくて、いいもの見たなあという気持ちになりました。

「できないことばかりに注目するんじゃなくて、好きなことに目を向けてもらいたいな」とは、動画中の花緑さんのことば

うん。いいもの見た。ふふふ。