扉の絵を更新しました。
いつもの公園の、いつもの湿った場所で、大好きなコケたちのお写真です。とてもミクロな場所ですが、わたし好みのいいコケの写真が、いつでも取れる、素敵な空間です。
さらに、夏の間は、しっぽが青く美しいニホントカゲのお子様たちにも出会えます。わたし好みがすぎる場所です。
扉の絵を更新しました。
いつもの公園の、いつもの湿った場所で、大好きなコケたちのお写真です。とてもミクロな場所ですが、わたし好みのいいコケの写真が、いつでも取れる、素敵な空間です。
さらに、夏の間は、しっぽが青く美しいニホントカゲのお子様たちにも出会えます。わたし好みがすぎる場所です。
賑やかな声につられて見ると、足場のない場所にへばりつく二羽のツバメの姿があった。壁には点々と泥がついているので、今から巣を作ろうとしているのだろう。
そのうち一羽が足を離し、へばりついたままのもう一羽のまわりを、あーだこーだと言いながら飛び回る。その声は、とても大きく高く早口で、騒々しい。それもそのはず、あーだこーだと言うのがもう一羽、細い道を挟んだところにいた。家づくりを進めるツバメに向かい、他の二羽が口々に何か意見しているような、応援しているような、とにかく熱心に何かを言っているのだ。
ツバメの巣作りはつがいで巣をつくると思い込んでいたが、少し離れた場所から同じ調子でやいやい言っていたツバメはだれだろう。ツバメの、あの途切れることないおしゃべりの内容を聞いてみたい。
ざわざわと、何者かが後からついてくる気配がする。しかし、振り返るとそこには何もない…という経験をしたことがある。
2年前の秋、伏見稲荷大社の稲荷山に初めて登ったときのことだ。
山頂付近のわき道がどうにも気になり行ってみると、山をひたすら降りていくような先の見えない下り階段があった。降りるだけでもしんどそうで、進もうか戻ろうか悩んでいると、先の階段を登ってくるヒトがいる。髪の長い女のヒトだ。すれ違ったとき息を切らすようなそぶりもなかったので、そんなに長い道のりじゃないのかしらと思い、わたしも気楽に降りることにした。
だが、しばらく降りてもおわりが見えない。そのうち、先程すれ違ったヒトがこんなに長い階段をわざわざ登ったということは、わたしも同じように再び登らなければいけないということにようやく思いあたった。休憩がてら、やっぱり元の道に戻ろうと立ち止まると、また下から登ってくるヒトがいる。今度は外国からの旅行客のようだ。親子連れで、戯れあいながら陽気に登ってくる。子どもがぴょんぴょんと平気で登れるのなら、わたしも平気だろうと再び歩き出した。
ただ、狭い山道なので、すれ違うとき道の脇にずれて待っていたわたしを、家族の誰も目にとめなかったのが気になった。注目されたかったのではないが、あまりに自然なスルーだったので、自分の存在が希薄になっているのかしらと心配になったのだ。
道の先に何があるか知らずに進むというのは結構不安だ。ましてや、「なんとなく気になったから」というあやふやな動機だけでは、このまま進んで大丈夫かと弱気にもなる。かろうじて足は進むものの、今からでも帰ろうかしらと考えていると、後ろでざわざわと、風がさざめくような、誰かの足音のような音がした。「道を譲らなきゃ。」と思い先程と同じく道の脇によって振り返ったが、誰もいない。気のせいかと進めば、またざわざわとついてくる。しかも、なんだかたくさんの気配が「はよ先へ進め」と言ってくれているような気がして、それからは不安になることなく、ずんずん元気に歩くことができた。
不思議で興味深い体験だった。
窓を開けると、今年もカエルの声が聞こえる。とても嬉しいことです。
「調査のため、お尋ねします。あなたがたはなぜ、頭部にのみ顕著に毛を生やし、他はほぼ無毛なのですか?血液ポンプや分解タンクを備えた胴体も、思考回路を備えた頭部と同様に保護すべき存在だと思いますが。」
「自らを生物として完璧ではないと認識し、進化の途上を楽しむためかな。」(ドヤァ)
壁一面を使って、こんなアートをこしらえたら素敵なんじゃないかな、と思わせるキノコと樹皮。
ヒトには作り出せませぬ。
本日のラクガキのなまえはmona。
画像ファイルの名称は、毎回直感でつけています。本日も保存するとき頭に「mona」と浮かんだので、そのままつけたら「重複しています」と言われてしまいました。フォルダをのぞいてみると、すでに「mona」と名付けたファイルが。まあ!似てる!同じヒトが同じあたまで描いてるからねえ。
ということで、黒髪と眉毛が豊かで、頭に植物のかざりをつけたこの方はmonaさんとなりました。こういうこともある。
自分の姿がヘンテコであればあるほど、好きになるタイプです。
どうせ制服つくるなら、夏はこれくらいカジュアルにしていただけるとよい。大きめのTシャツと薄い生地でゆったりしたズボン。このくらいシンプルなら安価に作れるし、涼しいし、何度も丸洗いできる。さらに、エシカルな素材で、体系を問わず、だれでも着脱しやすく、ユニセックスで、ヒトの出自も背景も問わないというおまけつき。
伝統文化を重んじたいスペシャルな日には、各自の家や近所に伝わる一番古い衣装と着たり、あたらしい文化を作っちゃうぜ的な気概を込めて作った服を着ればいいんじゃないかな。
ちなみに、青いジャケットはわたしの趣味です。ごわっだぶっとして見えて、自然素材で風通しがよく、ポケットがたくさんあるジャケットを着て、森でごろごろしたいぜ。
今年の梅ちゃんは、アブラムシにもめげずぐんぐんと枝をのばし、いつのまにか身長が2倍になりました。すごいよ、梅ちゃん。
風雨や乾燥でいくつか実を落としましたが、今までで一番丸くふくふくした美しい実を残してくれました。ありがとう、梅ちゃん。
その実があまりに立派で、いつ収穫すればいいのかわからず、「収穫時期になったら教えてね」と気軽な気持ちで声をかけました。しかし、同時に「わたしに梅ちゃんの声がわかるのか?」と不安になりました。
最近は、植物でも虫でも鳥でも、道ゆくいきものたちに気が向いたら「おはよー」とあいさつをしていますが、いきものたちからのリアクションを感じ取れているわけではありません。あまつさえ、テレパシー的なものをキャッチする能力が開花したわけでもありません。せっかく梅ちゃんが「今!」と教えてくれても、わたしにそれを感じるちからがなければ意味がないのです。気軽に声をかけすぎたかな、と少し反省しました。
そして数日後。なんと、わかったのです、ちゃんと。
梅ちゃんを見た瞬間に「あ!今が収穫のときだ!」とピンときたのですね。それが本当かどうかはわかりませんが、無事に収穫させていただき、本日塩漬けにしました。
信じる気持ちが大事。