時間と空間が生みだすお風呂のこと

体が温まるまでじっくり湯船につかる間、つい所在なく「気持ちが良いお風呂」の存在について考えてしまった。

「気持ちが良いお風呂」の主体は、わたしの体の一部が浸っているこの「温かいお湯」だろうが、湯は溜めるには湯船が必要だし、「気持ち良さ」は「温かさ」だけではなく「体を洗うことができる」ことにも起因するから、洗い場と道具一式も必要だろう。「他者に気兼ねしない」ための壁や天井、「後始末が楽で長持ち」する素材であることも大事。

じゃあ、この空間全体を指して「気持ちが良いお風呂」と言えるかというと、湯が入っていなければ浸かれないし、そもそも「裸」のわたしがいなければ「気持ちが良い」とは感じない。つまり、時間も必要ということだ。

時間と空間がちょうど合わさるからこそ出来上がる「気持ちが良いお風呂」。あえて難しく考えると、なんだか毎日奇跡的に素敵な体験をしてるみたいに思えてくる。

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